話の肖像画

ゴルフプロデューサー・戸張捷<10> 女子ツアーを変えた「妖精」招待

第3回ワールドレディーストーナメントに出場したローラ・ボー選手=昭和50年4月、東京よみうりカントリークラブ
第3回ワールドレディーストーナメントに出場したローラ・ボー選手=昭和50年4月、東京よみうりカントリークラブ

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《第1回フジサンケイクラシックを開催した昭和48年、当時は人気が低かった女子ゴルフの大会創設にも関わった。ワールドレディーストーナメント(現サロンパスカップ)だ。このトーナメントに、ある外国人選手を招待した》


開局20周年を迎えた日本テレビから記念イベントとして創設される国際トーナメント「ワールドレディーストーナメント」で企画・運営を任されました。世界中からさまざまな選手を集めて、女子ゴルフの新しい面をみせようという大会で、海外選手の招待者リストを作成したのですが、どうしても呼んでみたい選手がいた。それがローラ・ボー選手だったんです。

ボー選手は当時、アマチュアだったので、国内では誰も知らなかったと思いますが、私は2年前にアメリカ代表で活躍する彼女を見ていました。金髪で小柄でかわいくて、ゴルフがうまかったのが印象に残っていたのです。ところがその後、米ジョージア州で開催された全米女子アマチュア選手権を当時最年少の16歳で制する実力者となっていった。かれんなのにすごく強い。こんな子は見たことがなく、日本にぜひ呼びたいと思っていたのです。

ワールドレディースの開催が決まってすぐ、彼女に出場をお願いする手紙を書きました。お母さんと2人で来日するとの返事が来たので、羽田空港に迎えに行ったのですが、お母さんもミス・カリフォルニアだったとのこと。母娘ともやはりかわいかったですね。2人がいるだけで空港の到着ロビーが華やかになっている。こんなゴルフ選手はそれまで見たことなかったですね。


《大会は東京よみうりカントリークラブ(東京都稲城市)で行われ、ボー選手は9位タイだった》


17歳という若さにもかかわらず、ボー選手は愛らしさと斬新なファッションで、周囲を魅了していました。ティーのまわりにはカメラマンが群がっていたことを覚えています。腹ばいになってローアングルから写真を撮るなど、まるで〝スター〟を前にしたような熱気が漂っていましたね。ギャラリーの数もものすごかった。

図らずも私が人気の火付け役になってしまったのですが、海外から美人選手を呼んで大騒ぎしようというつもりはまったくありませんでした。やはりこんな魅力的な選手は放っておかないですよね。メディアには「グリーンの妖精」と称され、米国の雑誌では「モスト・ビューティフル・ゴルファー」にも輝きました。


《大会後も国内での熱気は冷めなかった。ボー選手はテレビ出演、雑誌の取材、CMにも出演。ゴルフウエアのCMでは通算95勝のアーノルド・パーマーと共演し、26歳差の夫婦を演じた。カレンダーも作られて爆発的な売れ行きを記録し、毎年更新されるカレンダーは10年以上も販売され続けた》


ボー選手はプロ転向後、米女子ツアーで「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」に輝くなど活躍したのですが、結局、1勝も挙げられませんでした。プレーオフまでもつれる試合もあったのですが、最高で2位どまり。しかし米国でも数々のCMに出演するなどビジネスとしては大成功です。日本でも彼女がワールドレディースに出場してくれたことで女子ゴルフに注目が集まり、当時14試合だったトーナメントのスポンサーになりたいという企業が次々と手を挙げた。華やかさという女子ゴルフの魅力を、ボー選手は日本に残してくれたのです。(聞き手 松本恵司)

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