昭和54年3月31日、江川の栃木県〝小山キャンプ〟が終了した。すっかり親しくなった〝番記者〟たちに取り囲まれた江川には、あの騒動の最中に見せていたとげとげしさはもうなかった。
「何とかここまでこれました。矢沢さんに来てもらったおかげで〝プロの感触〟も味わえたし、毎日励ましてくれたファンのみなさんや記者さんたちに感謝しています」
ニッコリ笑って江川が頭を下げた。
この間、体重は97キロから88キロに減り、ウエストも96センチから92センチに引き締まった。ランニングの総距離は約315キロ。江川に声援をおくったファンは延べ4万人を超えた。
江川はこのあと栃木県那須郡黒羽町(現・大田原市)の「くろばねスプリングス」で最終調整のためのミニキャンプを行い、4月5日に終了した。
「これほど長く、中身の濃い練習をやったのは初めてです。この経験を大事にしたい」
4月6日、小山市の自宅に戻った江川は母・美代子さんに手伝ってもらって、上京のための荷物をまとめた。
「今度は大丈夫でしょうね」と江川は番記者たちに聞いた。
2月上旬、江川は一度、巨人入りのための荷造りをしていた。
「あのときは宮崎へ行くものとばかり…。冬物の服をトランクに詰めていたのが、今回は春物になっちゃった」
「そうだねぇ」と美代子さんも当時を思い出して複雑な表情をみせた。
2月8日、プロ野球実行委員会は江川の巨人入団を「4月7日のシーズン開幕まで認めない」と決定。翌日、鈴木セ・リーグ会長は江川と巨人に対し「今の江川君は〝阪神の選手〟。したがって巨人関係者が練習に付き添ってはならないし、巨人のグラウンドも使用してはいけない」と通達した。
宮崎入りの準備も整い出発を待つばかりだった江川家にとってそれは「まさか」の決定だった。
「独りで練習ですか…。先は長いですね」と肩を落とした。
「今度は大丈夫?」と聞いたのは、江川の精いっぱいのツッパリだったのだろう。
トランク3個に布団1組。用意ができた江川は夕方、両親に見送られて実家をあとにした。大勢の番記者たちを引き連れ、いざ、東京へ―。(敬称略)