海底のレクイエム

小笠原の「濱江丸」

「濱江丸」(ひんこうまる)は中国・大連にあった大連汽船の船舶で、1936(昭和11)年9月に竣工した。満州(中国東北部)で産出する石炭を日本本土へ運ぶのを任務としていたが、1944(昭和19)年4月に海軍に徴用され、同年戦没した。

海面上に顔を覗かせる「濱江丸」の蒸気レシプロ機関の上部。主機は播磨造船所製低圧タービン付き二連成レシプロ機関であり、定格3600馬力を発揮した(戸村裕行撮影)
海面上に顔を覗かせる「濱江丸」の蒸気レシプロ機関の上部。主機は播磨造船所製低圧タービン付き二連成レシプロ機関であり、定格3600馬力を発揮した(戸村裕行撮影)

小笠原諸島、父島の境浦海岸、水深5メートルに眠る「濱江丸」。本船は大連汽船をオーナーとして建造された5000総トン級の貨物船である。

鉱石などのバラ積み輸送が主目的のため、船尾機関式の設計が採用されたが、このために戦時標準船の1TM型タンカーの設計のさいに参考にされたとも言われる。

「濱江丸」はサイパン方面で空襲を受けて損傷、硫黄島経由で小笠原に逃れたが、再度の空襲を受けて海岸に擱座、1944(昭和19)年8月4日の空襲によって炎上し放棄された。

船体は浅瀬にあり、島内の小高い道路などからも形状がはっきりとわかる。このため観光スポットでもあり、スノーケルなどで訪れることも可能だ。

浅瀬にある分、風や波の影響を受け易く、経年劣化が激しく過去の写真と比較すると、海面に露出している部分が徐々に失われてきているがわかる。

「濱江丸」の機関室周辺。船体は崩壊しているが、機関室の機器はそのままの位置関係を保っているようだ(戸村裕行撮影)
「濱江丸」の機関室周辺。船体は崩壊しているが、機関室の機器はそのままの位置関係を保っているようだ(戸村裕行撮影)
船体は崩壊しているが、船底部分は残っており、その上に船体や上部構造物の残骸が散乱している。中央に見える円筒状のものはマスト(戸村裕行撮影)
船体は崩壊しているが、船底部分は残っており、その上に船体や上部構造物の残骸が散乱している。中央に見える円筒状のものはマスト(戸村裕行撮影)
崩壊した船体から脱落して、海底に半ば埋もれている船首先端部を見る(戸村裕行撮影)
崩壊した船体から脱落して、海底に半ば埋もれている船首先端部を見る(戸村裕行撮影)
船首部分を別アングルから撮影した一枚。残っている船首先端部と、散乱する艤装品の位置関係がよくわかる(戸村裕行撮影)
船首部分を別アングルから撮影した一枚。残っている船首先端部と、散乱する艤装品の位置関係がよくわかる(戸村裕行撮影)

水中写真家・戸村裕行 1982年、埼玉県生まれ。海底に眠る過去の大戦に起因する艦船や航空機などの撮影をライフワークとし、ミリタリー総合誌月刊『丸』にて連載を担当。それらを題材にした写真展「群青の追憶」を靖國神社遊就館を筆頭に日本各地で開催。主な著書に『蒼海の碑銘』。講演、執筆多数。


雑誌「丸」
昭和23年創刊、平成30年に70周年迎えた日本の代表的軍事雑誌。旧陸海軍の軍 艦、軍用機から各国の最新軍事情報、自衛隊、各種兵器のメカニズムなど幅広 い話題を扱う。発行元の潮書房光人新社は29年から産経新聞グループとなった 。毎月25日発売。

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