復活・男闘呼組 「昭次、元気?」 メールが埋めた30年の空白

(左から)前田耕陽、高橋和也、岡本健一、成田昭次。復活後のステージから見える景色について、岡本は「(ファンが)娘さんや旦那さんと来てたりして、皆が笑顔で。本当に幸せな光景」と語った=大阪市北区(南雲都撮影)
(左から)前田耕陽、高橋和也、岡本健一、成田昭次。復活後のステージから見える景色について、岡本は「(ファンが)娘さんや旦那さんと来てたりして、皆が笑顔で。本当に幸せな光景」と語った=大阪市北区(南雲都撮影)

昨夏、29年ぶりに期間限定で活動を再開した4人組ロックバンド「男闘呼組(おとこぐみ)」が、8月のフィナーレに向けた全国ツアー「2023 THE LAST LIVE」に臨んでいる。平成5年に活動を休止して以降はメンバー間の交流も長らく途絶え、「活動再開は絶対に無理だ」と考えていた4人だが、メンバーを気遣う一通のメールをきっかけに、再びつどった。「このライブをやるために会わずにいた」と笑い合う新生・男闘呼組はフルスロットルで夏を駆ける。

男性ファンの歓声

男闘呼組の岡本健一=大阪市北区(南雲都撮影)
男闘呼組の岡本健一=大阪市北区(南雲都撮影)

4月、大阪市北区のフェスティバルホール。メンバーの前田耕陽、高橋和也、成田昭次、岡本健一がステージに現れ、高橋が「We are 男闘呼組!」と叫ぶ。客席のボルテージは一気に上がった。

曲間には、ファンからメンバーの名前を呼ぶ声が響く。岡本はその中に男性らしき低い声が交じっているのに気付いた。かつて、コンサートに来るファンは女性中心だった。

「(男性ファンは)来るのが恥ずかしかったのかな」。そう岡本が問いかけると、高橋が重ねる。「年を取るのも、悪くないよね」

「DAYBREAK」や「TIME ZONE」などのヒット曲は、約30年ぶりのライブでも時代を感じさせない。岡本は「全員が誇りをもって音楽を作っていた。だから今も、本気で向き合える」と明かす。

デビューから5年で休止

男闘呼組の高橋和也=大阪市北区(南雲都撮影)
男闘呼組の高橋和也=大阪市北区(南雲都撮影)

昭和63年にジャニーズ事務所からデビューした男闘呼組は、当時のジャニーズでは異色の硬派なロックバンドだった。

デビューの3年前からライブ活動をしていた。洋楽が流行し、高橋は「お手本は米国や英国のバンド。かなり影響を受けたよね」。岡本が「コーラスやハモリの練習ばかりしていた」と振り返ると、3人は「やったなー」と懐かしむ。

「4人の音楽センスが融合して、男闘呼組が完成した」と成田。しかし、デビューから5年で活動を休止する。その頃には個々の主張が強くなり、全員が「外の世界を知りたい」と考えるようになっていた。

それぞれが舞台やテレビで活動し、4人で集まることはなかった。岡本を残し3人が事務所を離れたこともあり、岡本は「活動再開は絶対に無理だ」と考えていたという。

一通のメールから

5年ほど前のことだ。

男闘呼組の成田昭次=大阪市北区(南雲都撮影)
男闘呼組の成田昭次=大阪市北区(南雲都撮影)

「昭次、元気?」

芸能活動をやめて所在が分からなくなった成田に、高橋が共通の知人にアドレスを尋ね、そうメールを送った。1週間後、成田は「元気だよ」と返した。

「皆が捜してくれているとは夢にも思わず、1週間びっくりしていた」という成田。そこから連絡を取り合うようになると、4人の人生は再び交じり合う。

当時、成田は地元・名古屋の会社に勤めていた。前田と岡本は、それぞれ名古屋での仕事の後に、成田をカラオケに誘った。男闘呼組の曲を歌う成田の声は、あの頃以上の響きだった。

「絶対ずっと練習してただろ」「目つむって歌ってたもん」。仲間からの疑惑を、成田は否定しながら笑う。「自転車の乗り方は忘れない。それと同じじゃないかな」

令和2年夏、全員でスタジオに集まって歌った。活動再開を口にしたのは岡本だ。3人の決意が固まり、35周年を迎える5年8月までの再開を決めた。

男闘呼組の前田耕陽=大阪市北区(南雲都撮影)
男闘呼組の前田耕陽=大阪市北区(南雲都撮影)

昨夏の音楽特番へのサプライズ出演を皮切りに、秋に東京で復活ライブを開催すると、名古屋、大阪で追加公演となった。

「こんなにも待っててくれた人がいた。男闘呼組ってすごいグループだったんだと、改めて認識させられた」(前田)

昨年、男闘呼組とは別に4人を中心にした新バンド「Rockon Social Club」を結成した。一緒に過ごした時間より、離れていた時間の方がずっと長い。だが4人の空気はそのブランクを感じさせない。成田は語る。「あの8年は、80年に値するくらい深いから」(藤井沙織)

会員限定記事会員サービス詳細