外国語を学ぶのは、その国や文化への関心などがあるからだと私は思うが、関心がありながら最近まで学びたいと思えなかったのが中国語だ。原因は、在米研修中の9年前、夕食を共にした中国人から「人民解放軍が尖閣諸島に上陸しても日本は何も抵抗しないでしょ」と言われ、憤慨したことだった。
志ある記者なら「敵対的な国の言葉だからこそ学んで、取材しよう」と考えるかもしれない。ただ、非才な私にとって「言うはやすし、行うは難し」。〝尖閣事件〟を機に、中国語の学習はますます縁遠くなった。
そんな私が「少しくらい中国語を話せたら良かったのに」と思う出来事が最近あった。1989年6月4日に中国当局が民主化運動を武力弾圧した天安門事件に関する常設の記念展示がニューヨークで始まり、当事者に取材したことだ。
事件後に2度投獄され、米国へ亡命した人権活動家の陳破空氏は「今も中国共産党の脅威を感じている」と話してくれた。中国の武力侵攻が懸念される台湾出身の若者は「中国共産党の脅威にさらされているのは同じだから」と無償で展示を手伝っていた。
自由と民主主義を守ろうとする人たちに、簡単でもよいから相手の母語で話しかけることができれば、より敬愛の念を示せたのにと残念に思った。(平田雄介)