小林のオープン戦最後の登板は3月31日の大洋戦(横浜)。チームは前日に東京入りし、巨人多摩川グラウンドを借りて練習した。
小林はチームと〝別行動〟を願い出た。なんと、驚く虎番記者たちを引き連れ、練習前に多摩川土手にあるおでん屋さん「小池商店」へ飛び込んだのだ。
「おばちゃん、きたよ」
「あら、小林さん! 元気そうで…。心配したわよ」
「あれからちょうど2カ月だね」
阪神へのトレードを通告された昭和54年1月31日の前日も小林はこの店でおでんを食べていた。
「おばちゃん、ここで着替えてもいい? あ、そうそう、たまっていたツケも払っとかなくちゃね」
巨人入団当初、小林はご飯をギューッと詰め込んだ弁当箱を2つ持って、合宿所からバスで1時間かけて多摩川グラウンドに通った。練習後、おなかがすき過ぎて合宿所までもたない。そんなときお店に飛び込んで、おでんや焼きそばをたらふく食べたという。
忘れられないのは50年秋の「事件」(第74話)だ。秋季練習のある日、杉下投手コーチの怒りを買った小林はどしゃぶりの雨の中を走らされた。3時間がたち、もうそろそろ許してもらえるかな―と練習場へ戻ると、コーチも仲間たちも誰もいない。
「どういうこと? これが杉下さんのやり方なの?」。小林はキレた。
「こんなコーチとは一緒に野球をやっていけない。辞めてやる」とグラウンドを飛び出した小林は、ずぶぬれのまま「小池商店」へ飛び込み「こんなユニホーム、着てられるか!」と脱ぎ捨てた。そのとき―「何いってるの! そんなことを言っちゃいけないわ。大変な思いをして巨人に入ったんでしょ」と拾いあげてくれたのがおばちゃんだった。
阪神のユニホームに着替えた小林は「また来るから」とグラウンドへ走っていった。懐かしい多摩川グラウンドのブルペン。だが、マウンドに上がった小林の顔からはもう感慨が消えていた。
フォークボール、シュート、スライダーと変化球をまじえて約40球を丁寧に投げ込んだ。
「この前は登板前に投げ過ぎてやられちゃったから、きょうは軽くしました。ヒジ? もう大丈夫です」
小林は最後のオープン戦に臨んだ。(敬称略)