昭和20年8月9日、日本領南樺太北部の上敷香(かみしすか)。陸軍2等兵、有馬郁文(ありま・いくふみ)(96)は〝最後の演習〟に参加していた。19歳の有馬は、6月に北海道の部隊に召集され7月に樺太に来たばかり。「入隊してすぐに『樺太へ行く』という命令を受けました。鉄道と船を乗り継いで宗谷海峡を渡りましたが、すでに制海権は敵に握られ、いつ攻撃を受けてもおかしくない状況だったと思います」
戦局は悪化の一途をたどっている。有馬の原隊である札幌の陸軍歩兵第25連隊は、北辺の国境付近の緊張の高まりを受け、樺太(上敷香)へ移動していた。
有馬らはそこで初年兵向けの訓練を受ける。学校で軍事教練の経験はあったものの、実際には銃の撃ち方も知らない。それなのに敵戦車の下に爆弾を抱いて飛び込む「自爆」覚悟の訓練もあった。有馬らはいや応なしに「死」を間近に感じさせられることになる。