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遺骨代わりの「英霊の砂」横須賀の海に 伊124潜乗員、82年ぶりの母港に

先の大戦で沈没し、豪州沖に眠る旧日本海軍の伊号第124潜水艦の周辺で採取された「英霊の砂」を横須賀の海に撒く遺族ら=7日午後、神奈川県横須賀市(松本健吾撮影)
先の大戦で沈没し、豪州沖に眠る旧日本海軍の伊号第124潜水艦の周辺で採取された「英霊の砂」を横須賀の海に撒く遺族ら=7日午後、神奈川県横須賀市(松本健吾撮影)

先の大戦中、オーストラリア北部沖で沈んだ旧日本海軍の「伊号第百二十四潜水艦」(伊124潜)の周辺で採取され、乗員らの遺骨代わりとして帰還を果たした海底の砂が7日、遺族の手により同艦の母港があった横須賀(神奈川県)の海に戻された。(塩瀬崇久)

伊124潜は昭和17年1月20日、連合軍の攻撃を受けて沈没。乗員80人とともに豪州北部準州・ダーウィン沖の西北西95キロ(水深約50メートル)の海底に沈んでいる。豪潜水調査チームが艦周辺から採取した海底の砂は、今年2月18日、ダーウィンで開催された式典で遺族に引き渡された。

この日は、潜水艦殉国碑がある東郷神社(東京都渋谷区)で砂の奉納式が営まれ、遺族や海上自衛隊、豪大使館関係者ら約40人が参列。式典後、砂は遺族代表から同神社の福田勉宮司に手渡された。

その後遺族らは伊124潜が所属していた横須賀の長浦港へ。音楽隊が「国の鎮め」を演奏、弔銃が放たれ、「英霊の砂」は遺族の手で海にまかれた。停泊中の潜水艦が参列者の黙禱(もくとう)に合わせて汽笛を鳴らし、出港から82年ぶりに母港への帰還を果たした英霊を出迎えた。

伊124潜の乗員だった茨城県常総市出身の大滝良平二等機関兵曹=当時(27)=の孫、高志さん(57)は「砂は遺族にとって遺骨に代わるもの。これほどの式典で迎えてくださった関係者のみなさんに感謝したい」と語った。

洋上航行中の「伊124潜」。日本海軍唯一の機雷敷設用潜水艦として任務にあたった
洋上航行中の「伊124潜」。日本海軍唯一の機雷敷設用潜水艦として任務にあたった

伊号第百二十四潜水艦

基準排水量1142トン、全長85・2メートル。第一次世界大戦の戦利艦として獲得したドイツの潜水艦「U125」をモデルに、神戸川崎造船所で製造された日本海軍唯一の機雷敷設用潜水艦。当時同型艦が4隻造られた。昭和13年6月1日、「伊号第二十四潜水艦」から「伊号第百二十四潜水艦」に艦名変更。開戦時は姉妹艦「伊号第百二十三潜水艦」とともに第6潜水戦隊第9潜水隊を編成、南方で機雷敷設にあたった。


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