児童8人が犠牲となった平成13年の大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件で、長女の優希(ゆき)さん=当時(7)=を失った本郷由美子さん(57)が、グリーフ(悲嘆)ケアのためのライブラリー「ひこばえ」を東京都内に開設した。「悲しみや憎しみを生きる糧にしてほしい」と喪失を題材にした絵本を集めた。事件から8日で22年。亡きまな娘を胸に、悲しみを抱える人に寄り添っている。
約1200冊の絵本や漫画といった書籍に囲まれたライブラリーは、東京都台東区の寺院内にある。毎週日曜のみの予約制で、令和2年11月に開設した。友人や家族との別れなどさまざまな喪失をテーマにした絵本が並び、来館者は絵本を読んだり絵を描いたりと、それぞれの時間を過ごす。
かわいらしいぬいぐるみもいる温かい空間。訪れた人たちの心はおのずとほぐれていく。本郷さんらスタッフは無理に話を聴くことはない。「自身の心に耳を澄ませてほしい」。来館者が語ろうとするタイミングを待ち続ける。
ページめくると
22年前、ラジオから流れる臨時ニュースを聞き、小学校に駆けつけた。正門から数十メートル先にある長机に横たわる児童。顔は見えなかった。「あの子、動かない。どうして」。底知れない恐怖に襲われた。校庭に集まる児童たちの顔を一人ずつのぞき、娘を必死に探した。後になって分かったが、横たわっていた児童が優希さんだった。
歌を歌うのが大好きで、甘えん坊な小学2年生。母にとっては幼く、小さな小さな宝物だった。
やり場のない怒りと言葉にできない悲しみ。味や臭いも感じない。色すら分からず、見える世界は白黒だった。あの子のいない世界で生きていたくない。すべてがもう、どうでもよかった。
そんな時、手を握ってくれたのが、他の事件や事故で家族を失った遺族だった。「我慢しないで。苦しみを吐き出してもいいの」。友人たちも黙ってただそばにいてくれた。
友人らからは絵本ももらった。当初は見る気にすらなれなかったが、パラパラとページをめくるうちに、その淡い色彩に心が落ち着いていくのを感じた。
芽生えた若芽
「私も苦しむ人の力になりたい」。そう思うのに時間はかからなかった。事件から4年後に心のケアを行う「精神対話士」の資格を取得し、グリーフケアの知識を深めていった。
そして、自身も救われた絵本を集め、心の疲れた人が安らげるライブラリー開設の夢を抱いた。知人の住職から寺の一部を借り、これまでの講演料や寄付を開設の資金に充てた。
オープンから約2年半。今では多くの人が全国各地から足を運ぶ。誰にも打ち明けられなかった思いを話してくれる人もいる。
活動の中で、加害者を生まないことの重要性も感じるようになった。今は殺人罪などで服役する受刑者に対し、被害者側の苦しみを伝える講師も務めている。そうした活動の思いをまとめた手記『かなしみとともに生きる~悲しみのグラデーション~』(主婦の友社)も出版した。
活動の支えとなっているのは優希さんだ。致命傷を負いながらも、必死に校舎の玄関を目指して歩いた娘。その距離は39メートル。本郷さんの歩幅で68歩だ。「力尽きるまで生きようと必死だった娘が、いつも背中を押してくれる」。
ライブラリーに名付けた「ひこばえ」は、優希さんが理科の授業で習った言葉。幹を切り落とされた切り株から新たに生える若芽を指す。「いい意味だね」。そう言って2人で笑い合った。
ひこばえの開設で優希さんとともに踏み出した69歩目-。歩みは続いている。
(中井芳野)
大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件 平成13年6月8日午前10時10分すぎ、大阪教育大付属池田小の校舎に、宅間守元死刑囚=事件当時(37)=が侵入、包丁で児童らを次々と襲った。2年の女児7人と1年の男児1人が死亡、1、2年生13人と教員2人が重軽傷を負った。国と学校は安全管理の不備を認め謝罪。校門の施錠や防犯カメラの設置など、各地の学校で安全対策が強化される契機となった。元死刑囚は現行犯逮捕され、15年に死刑判決。元死刑囚が控訴を取り下げ刑が確定し、16年9月に執行された。