文明の中心と周辺の言葉
ローマ帝国以来、中世を通じ、西洋で書き言葉はラテン語が中心で、東洋で中国帝国とその周辺の国の書き言葉は漢文だったのと軌を一(いつ)にする。片や古典ラテン語が文言体として権威があり、片や四書五経の文言体中国語が権威を持ちつづけた。
支配者の優越が強く明らかだと、帝国の臣民はその言葉を表向きは使う。西洋の学問語がラテン語だったように東洋の学問語は漢文だった。
多くの国の最初の歴史は母国語で書かれていない。フランスでは六世紀にトゥールのグレゴリウスが『フランク史』を、イギリスでは八世紀にビードが『イングランド教会史』をラテン語で編纂(へんさん)した。朝鮮では十二世紀に金富軾(キムブシク)が『三国史記』を、ベトナムでは十三世紀末に黎文休(レバンフー)が『大越史記』を漢文で編纂した。日本もほぼ同様である。