王身代(おうしんだい)、塒(ねぐら)、御舩(みふね)…。由緒ありげな名字はいずれも、鎌倉幕府を倒し「建武の新政」を行った後醍醐天皇(1288~1339年)に由来する。倒幕運動をしたとして隠岐島(島根県)へ配流された後醍醐天皇が島を脱出し伯耆(ほうき)国・名和湊(鳥取県大山町)に上陸した際、天皇を手助けしたことから「賜姓」された。名和一帯は後醍醐天皇に忠誠を尽くした豪族、名和長年の本拠地で、約700年前の天皇ゆかりの地名もあちらこちらに現存し、後醍醐天皇の歴史が息づいている。
船上山にいたのは身代わり?
建武政権が発足し天皇親政が始まる約4カ月前の元弘3(1333)年閏(うるう)2月、後醍醐天皇は隠岐島から名和湊にたどりつく。名和長年の軍勢に守られて港から10キロほど離れた船上山(615メートル)に行宮(あんぐう)(行在所(あんざいしょ))を置き、鎌倉幕府の追っ手を退けて政権樹立へ向けた実質的なスタートを切った。