今年の3月はワールドベースボールクラシック(WBC)の話題で日本中がにぎわい、野球への注目度が上がったようにも感じました。
ところで、小学校の道徳の教科書から『星野君の二塁打』という教材が、令和6年度からなくなるという話があり、いろいろと議論があったことをご存じでしょうか。『「星野君の二塁打」を読み解く』(功刀俊雄、栁澤有吾編著 かもがわ出版)をもとに簡単にあらすじを紹介します。
-ピッチャーで3番打者の星野君は同点で迎えた最終回、監督から、先頭打者を「バントで二塁に送れ」と命じられた。納得はできなかったが、監督の命令にそむくことはできない。バントのつもりでバッターボックスに入ったが、姿勢を少し変え、二塁打を打った。この一撃が勝利を決定的にし、チームは選手権大会への出場を決めた。
翌日、監督が選手たちを呼んで話した。「僕が監督になったとき、相談してチームの規則を決めた。いったん決めた以上は、厳重に守ってもらう、チームの作戦として決めたことは、従ってもらわなくてはならないという話もした。だが昨日、僕は疑問を感じる経験をした。僕は、昨日の星野君の二塁打が気になるのだ。チームの統制を乱したことになる」
チームメートが助け舟を出したが駄目だった。「いくら結果が良かったからといって、ルールを破ったという事実に変わりはない。チームの統制を乱した者をそのままにしておくわけにはいかない。僕は今度の大会で星野君の出場を禁止したいと思う」
星野君は涙で光った目を上げて強く答えた。「異存ありません」-
まずは初出の時代背景を知る必要があります。英文学者で児童文学の作家でもあった吉田甲子太郎(きねたろう)(1894-1957)が原作を執筆したのは昭和22(1947)年のことでしたから、「星野君の二塁打」には75年もの歴史があります。始まりは「鉄腕アトム」が最初に掲載された雑誌として知られる光文社の『少年』の昭和22年8・9月合併号でした。このときはアメリカ占領下でしたのでGHQの事前検閲も受けていますが、検閲資料としてのゲラには修正や削除の指示は一切ありません。すんなりと検閲通過したようです。
その後、昭和25年から国語の教科書(小6)に載り始め、39年から42年には『小学校道徳の指導資料(小5)』、45年以降は小学5年生道徳の副読本の定番教材になりました。近年では道徳の教科化によって平成30年度からは道徳教科書にも掲載されました。令和2年度には全教科の教科書が改訂されましたが、マンガ版「星野君の二塁打」が登場しました。
ただし、内容は微妙に次々と修正されていきました。元々はかつての中等野球(現在の高校野球)の物語で、星野君の二塁打によって出場が決まった大会は夏の甲子園大会でした。現在の内容ではそこは郡内選手権大会にされ、最終場面も原作の星野君は「異存はありません」と答えますが、今の教科書では星野君は「じっとうつむいたまま、石のように動かなかった」と終わっています。
現在の教科書では「規則の尊重」を目標に挙げていますが、教材として外した教科書会社によると、その内容を教える別の教材を採用したため、と答えています。「星野君の二塁打」を教科書に載せることについて批判する意見には、勝利に貢献した選手を処分するのは軍国主義的、服従の押し付け、大勢が同じ精神で組織として動く点が帝国主義的…などというものがあります。
しかし、道徳の授業は「道徳的に正しいといわれている内容や正解を教える時間」ではありません。子供たちに自分の生活上の問題を「考える機会」を提供することにあります。子供たちが生活の中にある「葛藤」を出し合うことで新しいものを発見できるとも考えます。
「集団の一員としての生き方」と「自分らしい生き方」の間の葛藤を子供たちが話し合うための教材にすることはできないでしょうか。また「監督が言うことが絶対」を教えるのではなく「監督が言わなくてもいいようにするための案」を子供同士で考えられる良い教材になりますまいか。
中学校ではチーム競技の部活から逃避する生徒たちが増えているとも聞きます。
WBC準々決勝のイタリア戦の三回1死、走者一塁の場面。大谷翔平選手が初球、意表を突くセーフティーバントし、相手の悪送球を誘って一、三塁にチャンスを広げた場面がありました。これは栗山監督の指示ではなく、大谷選手の判断で行ったと大会終了後に知りました。
「星野君の二塁打」の初出から75年。自分は表舞台に立たず、目立たなくても、自分を犠牲にしてでもチームのために働く、という価値観は薄まってきたのでしょうか。時代遅れの価値観になったのでしょうか。巨人や中日で長く活躍した川相昌弘選手は533の犠打数でギネスブックにも載っています。
いまむら・ゆたか 昭和31年、福岡市生まれ。開善塾福岡教育相談研究所、福岡心理教育カウンセリングセンター代表。公立学校スクールカウンセラー。臨床心理士。公認心理師。福岡県立城南高校、福岡大学、兵庫教育大学大学院修士課程、福岡大学大学院博士後期課程。公立小学校教諭、福岡市教育センター、同市子ども総合相談センター、広島国際大学大学院心理科学研究科、大分大学大学院教育学研究科(教職大学院)、純真短期大学等を経て現職。