オープン戦終盤になって小林は打ち込まれた。巨人時代から「不安」を抱えていた右ひじに疲れがたまり始めたのだ。
「あの騒動を調整遅れの理由にしたくない」と、例年以上に速いペースで仕上げた反動だった。急遽(きゅうきょ)、練習での投球数を減らしペースダウン。登板の間隔もあけ、約2週間ぶりに小林はオープン戦のマウンドに上がった。
◇3月18日 大阪球場
阪神 004 000 002=6
南海 150 101 00×=8
(勝)森口2勝 〔敗〕小林1敗
(本)藤原①(小林)②(安仁屋)河埜①(小林)
昭和54年3月18日の南海戦(大阪)、いきなり先頭打者の藤原に左翼へ先制のホームラン。二回には打者10人、4長短打を浴びて5失点。
「毎年、この時期はこうなんです。でも、球には力があった。球威がなかったらもっと打たれていますよ」
小林は精いっぱい強がった。そして25日、3度目の登板。ネット裏には巨人のスコアラーの姿もあった。
◇3月25日 藤井寺球場
阪神 000 000 000=0
近鉄 024 010 00×=7
(勝)太田幸1勝 〔敗〕小林2敗
(本)羽田⑥(小林)
再起を誓う〝元殿下〟太田幸と小林の対決。球場には1万8千人のファンが詰めかけた。いきなり、三塁側の虎ファンから大きなため息がもれた。南海戦に続いてまたしても序盤で打ち込まれた。
7回6安打4四死球7失点。この日は野手の失策が絡んでの失点だったが、スタンドのあちこちで「大丈夫かいな、小林は…」という声が聞こえた。
「エラーが出たのはボクの投球リズムが悪かったからです。立ち上がりスピードを抜いてコーナーに投げようと間合いを取り過ぎた。それで守りのリズムを狂わせてしまったんです」
巨人時代、小林が投げる試合で巨人打線はよく爆発した。小気味いい小林の投球テンポが野手のリズムと合ったから―と杉下コーチは分析していた。
「オープン戦で先発できるのはあと1回。今度はピリッとしますよ。ちゃんと9回を投げるメドはつけましたから」
小林の言葉を信用してもいいのだろうか…。巨人・小松スコアラーのスコアブックにはこんな走り書きがあった。
『打たれはしたが仕上がりは順調。公式戦ではやはり、要注意』(敬称略)