話の肖像画

ゴルフプロデューサー・戸張捷<5> 大人のマナー 俱楽部で学ぶ

昭和52年ごろ、来日したジーン・サラゼンさん(右)と
昭和52年ごろ、来日したジーン・サラゼンさん(右)と

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《高校1年生のときに胃がんで亡くなった実業家の父、新兵衛さんは我孫子ゴルフ俱楽部の創設メンバーだった。昭和5年の開場で、「平等で自由にして民主的、かつエチケットマナーを重んじる」の信念が貫かれるゴルフ俱楽部だ》


おやじの勧めで中学3年からゴルフを始めたころ、我孫子ゴルフ俱楽部にはよく連れていってもらいました。当時は中学生がプレーできるようなゴルフ場は見当たらず、「平等で自由にして民主的」という我孫子ゴルフ俱楽部はめずらしい存在でしたね。そこで大人に交じってプレーをすることで、エチケットやマナーも学んだのです。

ある日、こんなことがありました。我孫子ゴルフ俱楽部では会員でないビジターがラウンドする際、同伴の会員は「ビジターズカード」を事前提出するのがルールなのですが、提出せずにビジターを連れてきた会員がいた。よく見ると顔見知りの有力会員で、「せっかく我孫子まで来たんだからプレーさせてくれ」と言っている。有力会員だし、受付も通すのでは、と思っていたら、なんと俱楽部の受付の人は「ルールですから」と断った。それでも有力会員は粘っています。

おやじは俱楽部の会員代表を務めていましたが、そのころはもう病気が進み、プレーはしていなかった。この騒ぎはやり過ごすだろうな、と思っていたら、躊躇(ちゅうちょ)なく歩み寄っていった。そしてその有力会員に「ルールは知っているよね。申し訳ないけど帰っていただくしかないね」と話しかけるではないですか。察したビジターの方が「今日は帰りましょう」と矛を収めようとしたとき、今度はおやじは来場していた理事全員に集まってもらい、「大事なお客さんです。理事のみなさんが賛成すれば、特別にここでビジターズカードを出そうと思いますがどうですか」と提案し、理事たちの賛意を取り付けて丸く収めてしまった。

おやじの大岡裁きには感心しましたが、みんながルールを守るという俱楽部の毅然(きぜん)とした雰囲気も、中学生だった私の心に刻まれましたね。ゴルフ俱楽部とはこういうところなんだ、と。


《父親の会員権を相続した。青木功や尾崎将司らを指導した名選手、林由郎が所属したことで知られ、トップアマも多い我孫子ゴルフ俱楽部で、腕を磨く日々が始まった》


会員には慶應大ゴルフ部の先輩、富田浩安さん(現・日の丸自動車興業社長)や、ともに日本アマチュア選手権で優勝したハーバード・チャックさん、森本弘さんら、そうそうたるメンバーがいました。こうしたトップアマが、「おやじさんがいないと大変だろう」と一緒にラウンドしてくれるんです。高校、大学とゴルフ部に所属していたとはいえ、技術的にはまだまだで、多摩川の河川敷や自宅近くの高輪の練習場に通って必死に打ちこんでいたころ。トップアマとのラウンドは本当に勉強になりました。

大学3年のころからは、部活の競技大会に加え、我孫子ゴルフ俱楽部のメンバー資格で関東のアマチュアゴルフの競技会に出場させてもらいました。「ターフ・ライダーズ」と呼ばれ、日本アマチュア選手権の歴代チャンピオンをはじめ、ハンディキャップ5より上手な人が集まる月例会です。学生ゴルフを超えた交友が始まりました。


《この月例会である人物と知り合いになった。そしてその出会いが、自身の人生を決めることになる》(聞き手 松本恵司)

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