露「情報戦」舞台は平穏 沿ドニエストル侵攻の兆候なし

ウクライナ中部ポディリスクの駅前広場。西方に位置するモルドバ・沿ドニエストルへの入境は露軍のウクライナ侵攻後、禁止されている=5月29日(桑村朋撮影)
ウクライナ中部ポディリスクの駅前広場。西方に位置するモルドバ・沿ドニエストルへの入境は露軍のウクライナ侵攻後、禁止されている=5月29日(桑村朋撮影)

ウクライナを侵略するロシアが「情報戦」の舞台に使っている場所がある。ウクライナに隣接するモルドバの親露分離派地域「沿ドニエストル」。ここには旧ソ連が設けた欧州最大とされる武器・弾薬庫があり、その警備などを名目に露軍が駐留している。「ウクライナ軍が沿ドニエストルへの侵攻を準備している」とロシアは主張するが、現場周辺を訪ねるとそんな兆候はみじんもなかった。

沿ドニエストルの武器・弾薬庫から東に約20キロのウクライナ中部ポディリスク(人口約4万人)。

車のラジオからは露文化を礼賛するロシアの番組が聞こえてきたが、駅前広場では子供が走り回るなど有事の気配はまるでない。ウクライナはロシアの侵略に抗(あらが)っているさなかだが、戦線は遠く、ここにはのどかな風景が広がる。

武器・弾薬庫がある沿ドニエストルのコバスナ村に車で向かうと、途中の検問で「この先は通れない」といわれた。だが、一帯でロシアのいう「侵攻準備」の雰囲気は感じられない。

国境近くの農業会社員、マキシムさん(43)は「軍人は常にいるが、大量集結した話は聞いたことがない。昨年2月の(ロシアとの)戦争後もここは平和だ」と話し、侵攻準備の情報は「いつものロシアのフェイク(噓)だろう」と笑い飛ばした。

コバスナ村には旧ソ連が冷戦終結後、衛星国から回収した約2万トンの弾薬や武器があり、広島に落とされた原爆並みの威力があるといわれてきた。だが、周辺の男性(47)は「弾薬などはほぼ残っていないと聞いた。怖くはない」と語った。

ウクライナ軍南部作戦司令部のフメニュク報道官によると、昨年2月以降は沿ドニエストルへの陸路での入境が禁止され、検問は強化された。「わがウクライナ軍は(ロシアとの交戦で)東・南部に人員を割いている。できるならここにも大量に配置したいものだ」と、フメニュク氏も「沿ドニエストル侵攻準備」を笑って否定した。

フメニュク氏は逆に、沿ドニエストルに駐留する露軍について警鐘を鳴らす。露駐留部隊は一般に約1500人とされるが、この数字は「実際よりもだいぶ少ない」という。国境地帯では「ロシアが昔からラジオで人々を洗脳している」とし、ロシアのプロパガンダ(政治宣伝)を信じる人が一定数いることも嘆いた。

ロシアはしばしば「ウクライナは沿ドニエストルからの攻撃をでっちあげ、侵攻の口実にしようとしている」「ウクライナによる沿ドニエストルへのテロを阻止した」といった情報を流している。(ポディリスク 桑村朋)

沿ドニエストル

モルドバ東部のドニエストル川沿岸に位置する親ロシアの分離派地域。ソ連末期の1990年9月にロシア系住民が独立を宣言。91年12月にはロシア軍の支援を受けてモルドバ政府軍と紛争になり、92年7月に停戦協定が成立した。ロシアが1500人規模とされる駐留部隊を維持している。「沿ドニエストル・モルドバ共和国」(PMR)を自称するが、国際的承認は得られていない。

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