【台北=矢板明夫】1989年の天安門事件当時、学生運動リーダーの一人で現在は台湾在住の画家、顔柯夫(がんかふ)氏が4日までに産経新聞の取材に応じた。顔氏は世界各地の中国人民主活動家をつなげる中心人物の一人だ。台北郊外にある自宅兼アトリエは活動家らが集まる拠点の一つになっている。「中国の民主化を実現させたい。この思いは34年前も今も全く同じだ」と顔氏は語った。
重慶市出身の顔氏は天安門事件当時、清華大学美術学院の4年生だった。「中国を良くしたい」との思いで学生運動に参加し、天安門広場に集まるデモ隊の物資を管理する責任者となった。市民から寄付される大量のカップラーメン、パン、牛乳などを分類し、広場に寝泊まりする各学生グループに分配する役割を担当していた。
事件後、デモに参加した責任を当局から追及されて逃亡し、89年9月に広東省珠海にたどり着いた。マカオを経由して外国に行こうと、有り金をすべて密入国業者に払い、漁船に乗せてもらったが、海岸まで約50メートルの浅瀬に下ろされた。カバンを頭の上に載せて、胸まで浸かった海水の中をマカオに向かって歩いた。「一歩ずつ、足を踏み出す度に、自由が近くなることを実感し、あの時の胸の高鳴りはいまだに忘れられない」と振り返る。
マカオの宗教施設の協力で、89年12月、顔氏は台湾に受け入れられた。到着した直後に新しい身分証明書をもらい、職業欄には「反共義士」と書かれていた。その後、雑誌のグラフィックデザイナーなどを経て、画家となった。今は山をテーマとした作品を書き続けている。「山を前にすれば人間は小さな存在だ。しかし、人間に乗り越えられない山はない。山の向こうには私たちの知らない素晴らしい世界があるかもしれない」と語った。「民主化が実現した後の中国」を「山の向こう」と想像しながら作品を描いているという。
4日夜、顔氏ら台湾在住の民主化活動家や台湾の人権団体などと一緒に台北市中心部の中正記念堂で、例年同様、天安門事件の追悼集会を開催。近年、参加者が減少していることに顔氏は危機感を覚える。「天安門事件は30年以上前のことだが、中国国内における人権弾圧の状況はますます悪化している。台湾も国際社会も、中国の人権問題にもっと関心を寄せてほしい」と語った。