評伝

芸は一流、ギャラは三流…「恵まれない天才」上岡龍太郎さんは憧れの人だった

朝日放送テレビで今も続く長寿番組「探偵!ナイトスクープ」で、「局長」として出演していた頃の上岡龍太郎さん(中央)。名司会ぶりが評判を呼んだ©ABCテレビ
朝日放送テレビで今も続く長寿番組「探偵!ナイトスクープ」で、「局長」として出演していた頃の上岡龍太郎さん(中央)。名司会ぶりが評判を呼んだ©ABCテレビ

「キミ、どこの大学出てんねん? そんな大学やから、しょうもない質問しかでけへんのや!」

30年以上前(平成2年)になるが、上岡さんが司会を務めた読売テレビ「EXテレビ」の単独インタビューでのこと。駆け出し記者時代、質問内容があまりに稚拙だったのか、ぐうの音も出ないほど喝破された。

高校時代から、上岡さんのラジオ番組の大ファンで、憧れだった。投稿はがきを紹介する際の、流暢(りゅうちょう)でリズム感のある語り口は「講談の修羅場(ひらば)読みのごとく」と評された。その後、上岡さんが芸能マスコミを極端に嫌っていたことや、テレビ関係者の多くが似たような”洗礼”を受けていたことを知った。

芸能界を引退してからは取材はもとより、その芸に触れる機会もほとんどなかった。そんな中、平成19年に死去した元同僚で元大阪府知事、横山ノックさんのお別れの会で聞いた献杯のあいさつは圧巻だった。

「ノックさん あなたは僕の太陽でした」と語りかけると、「女性が大好きだったノックさん 料理を作るのがうまかったノックさん マージャンは下手クソだったノックさん…」

多彩なエピソードはもちろん、韻や語感まで計算し尽くされた約5分間のあいさつは、まさにかつて聴いた「ラジオ芸」そのものだった。

自称「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才」は、何度も現役復帰を期待された。だが、「一般人」を貫いた。最後まで近寄りがたく、でも、やっぱり憧れの人だった。(元産経新聞文化部編集委員 豊田昌継)

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