81歳で死去した上岡龍太郎さんと、ラジオ大阪の「歌って笑ってドンドコドン」でパーソナリティーとして出会って以来、40年以上親交のあった落語家の桂雀々さん(62)。産経新聞の取材に「上岡さんのしゃべりは誰にもまねできない。上岡一代の芸でしょうね。聴く人が信者のように『上岡ワールド』にハマってしまう。そんな芸道でした。もう『上岡節』が聞けないなんて、心に穴が開いたようです」と寂しさをにじませた。
はがきを一気に…「すごいなぁ!」
番組は昭和49年に始まり、上岡さんとは約20年間共演した。「積みあがったはがきの山を下読みもせず、機関銃のようなテンポで一気に読んでいく。神業です。『すごいなあ!』と、毎週放送日の土曜日がくるのが楽しみでした」と振り返る。
その話芸だけでなく人柄にも憧れ、尊敬する人に師匠の桂枝雀さんとともに、上岡さんの名を挙げるほど慕ってきた。「敵に回したらすごく怖い。でも、味方にすると意外と頼りなくていいかげんな感じの人。根は優しくて、あの人の懐に入っていく感じがすごく居心地がよかった」と懐かしむ。
上岡さんは落語家の立川談志さんや桂米朝さんを敬愛し、落語への造詣が深かった。雀々さんには上岡さんの一言が落語家としての発奮材料になったことがある。
20代前半で上方落語「愛宕山(あたごやま)」をネタ卸(おろ)しした時のことだ。「山を登ってヘトヘトになるシーンを一生懸命演じたのに、上岡さんに『えらい低い山やな。そんな山でへたばるか?』と言われてしまいました」。だが、ネタに磨きをかけて10年後に演じた際には「『えらいもんやな。山が高なってるがな』って。最高のほめ言葉でした」と振り返る。
万葉集の話に「えらい高尚でしたわ」
上岡さんは第一線で活躍していた平成12年、芸能生活40周年を機に芸能界を引退した。雀々さんは「大阪だけでなく全国でブレークしたのに、『40年でやり切った。老体にむち打つのは嫌や』と言っておられました。格好良い引き際でした」と語る。
引退後、上岡さんはゴルフや映画、芝居や落語など趣味を楽しんでいたという。雀々さんが最後に会ったのは5年ほど前のゴルフコンペだった。「体は小さくなったけれど、ダンディーでおしゃれで、きれいな年の取り方をしてはりました」。現役時代よりもゆったりとしたしゃべり方で、会食の席では百人一首や万葉集の話に。「『今、万葉集覚えてんねん』って。えらい高尚でしたわ」と笑う。
雀々さんは「僕は寂しい。でもあちらの世界には横山ノックさんも米朝師匠も枝雀師匠もいてはるし、上岡さんは寂しいことはないんじゃないでしょうか。今頃、絶対皆で会ってると思いますよ」としのんだ。