高校日本代表や全国高校選手権で華々しく活躍し、大学1年春から入寮を認められたスター候補生とは対照的に、独特のいばら道をくぐり抜けて早大ラグビー部のグラウンドにたどり着いたのが、藤掛三男だった。雪の早明戦が行われた1987年度、堀越正巳(現・正己)、今泉清とともに〝1年生トリオ〟として全国大学選手権や日本選手権で大暴れした藤掛だが、入部時は無名に近い存在だった。堀越や今泉とは異なり、グラウンドにほど近いアパートで大学生活をスタートさせた。
「いやもう信じられないくらい、きつかったですね。5時間くらいずっと走らせてる、みたいな日もありましたもんね」
栃木から出てきた青年は練習や〝練習後練習〟でボロボロになり、さらにはボール磨きなどの雑用もこなし、重い体を引きずるようにして、下宿には寝に帰るような日々を過ごした。
前年度は全国大学選手権決勝で大東大に敗れて2位に終わった影響も感じたという。「準優勝は駄目なんだというピリピリした雰囲気があったのを覚えてますよね。早稲田というのはナンバーワンにならないと駄目なんだなって。そういうことをOBの人たちも入部式とかで言ってましたし」
ただでさえ100人以上の入部希望者を40人程度に絞るための過酷な練習が行われる。さらにそこに、大学選手権で頂点にあと一歩届かなかった無念さによる緊張感が、例年以上に1年生の心身に負荷をかけていたのかもしれない。それでも、ラグビーをやるために高校1年を2度経験してきた19歳にとっては、退部という選択肢はあり得なかった。
栃木県佐野市で育ち、中学時代は野球少年で佐野日大高に進学。ほどなくクリーンアップを任されるようになった。だがその年の秋、筑波大ラグビー部でプレーしていた兄の応援のために東京・秩父宮ラグビー場を訪れ、これまでなじみがなかったスポーツに心を揺り動かされた。
闘争心をむき出しにして相手にタックルし、ボールを奪いあう。野球とは全く違った競技だった。試合後の選手たちは泥にまみれたジャージー姿から一転、ネクタイを締めてブレザーを着て、ロッカールームから出てきた。
外苑前という都会的な立地もあったのか、グラウンドでの荒々しさと試合後の紳士的な雰囲気が、少年の心をわしづかみした。
「こんなスポーツはいままでに見たことがなかった。何が何でもやってみたい」。これまでに感じたことがないような強い思いだった。