意識が戻らない福永洋一騎手へ懸命の治療が行われた。
検査の結果、左側頭葉に脳挫傷があり、血腫が脳を圧迫していることが判明。昭和54年3月6日午後7時から関西労災病院で血腫を取り除く手術が行われた。
「洋一さん、生きてくれ…」
日本中の人たちが祈った。その中に阪急・加藤英司がいた。
「手術したんか…。いますぐ病院へ飛んでいきたい。けど、ボクが行っても何もできん。回復を祈るしかない」
担当記者から福永の容体を知らされた加藤はグッと唇をかみしめた。加藤と福永がそんなに親しかったとは…。記者たちも知らなかったという。
出会いは前年(53年)暮れのこと。当時、加藤は「脊椎分離症」と「椎間板ヘルニア」の合併症で大阪の阪大病院に入院していた。12月25日の夕方、加藤の病室へある男が訪ねてきた。
「こんばんは。初めまして。私、福永といいますねん。加藤さんの大ファンです。見舞いに来たんやけど、いま、よろしいか?」
「ええよ。退屈しとったとこですわ」
このとき加藤はまさか目の前にいる小柄な男が、今をときめく競馬界のスター福永洋一とは分からなかったという。だが、話をするうちに―
「あれっ、おたく競馬の騎手の?」となった。
福永も子供のころから阪急ファン。そして加藤の大ファン。53年の全レースを終了し、阪大病院で3日間の人間ドックに入った。そのとき、同病院に加藤が入院していることを知ったという。
同じ昭和23年生まれ。そして同じ勝負の世界で生きる男同士。2人はすぐに意気投合した。
「あのとき約束したんや…」
加藤は福永の言葉を思い出した。
「ヒデさん、きっと立ち直ってくださいよ。ボールに向かっていくあの闘争的なバッティングを見せてもらわんと。ボクやファンのためにもね」
「よっしゃ! そのときは球場に招待するで」
「もちろん、見に行きます。男の約束ですよ」
2人は固い握手を交わした。
「彼は強い男やから…。オレは信じてる。まだ約束、果たしてへんもん」
加藤はその手をじっとみつめた。(敬称略)