小林繁伝

3月4日の惨事 天才・福永騎手襲った落馬事故 虎番疾風録其の四(233)

福永洋一騎手の落馬事故を報じる昭和54年3月5日付サンケイスポーツ1面
福永洋一騎手の落馬事故を報じる昭和54年3月5日付サンケイスポーツ1面

昭和54年3月4日、阪神競馬場で行われた11レース「第26回毎日杯」(芝2000メートル、良)で悪夢のような事故が起こった。各馬が一団となって4コーナーを回ったときだ。馬群の後方にいたマリージョーイ騎乗の福永洋一の目に前方を走っていたハクヨーカツヒデの斉藤博美騎手が落馬するのが見えた。

「危ない! このままでは踏みつけてしまう」

福永は斉藤を避けるためとっさに手綱を左(外側)に引いた。ところがそのとき、斉藤の体がゴロリと外側に転がってきた。驚いたマリージョーイが跳び越えようとする。だが、足がひっかかり、もんどりうって一回転。福永も馬場にたたきつけられた。

マリージョーイはすぐに起き上がったが、福永はうつぶせたまま動かない。場内は騒然となった。

救護室に運ばれた福永の口からは血がドクドクとあふれ出ていた。落ちたときに舌をかみ、中央部のところでちぎれかけていたのだ。応急処置を受けたあと、兵庫県尼崎市の関西労災病院へ緊急搬送。舌の手術が行われた。成功。だが、意識が回復しない。目の対光反射もなく瞳孔が開いたまま。エックス線検査の結果「頭蓋骨骨折」の可能性があることがわかった。

福永洋一、昭和23年12月18日生まれ、当時30歳。53年には131勝をマークして9年連続リーディングジョッキーに輝いていた。そして54年も3月までに24勝。日本を代表するスーパージョッキーを突如襲った悲劇。日本中が福永の回復を祈った。

悲劇から44年。このときまだ2歳だった彼の長男・祐一(46)が今年2月に「騎手」を引退。「調教師」の道を歩み始めた。

祐一は懸命に看病する母、必死にリハビリを続ける父の姿を見て育った。周囲の大反対を押し切り「騎手」に。そして新人で53勝を挙げ「最多勝利新人騎手」に輝いた。

祐一はインタビューで「まだ父の偉大さは分かりません」と言っていた。だが、翌年から勝ち星を重ねるうちに騎手としての父の凄さが分かってきたのだろう。後年「父のいろんなことが見えて、逆に最初より遠ざかったような気がします」と語った。

そして平成30年5月、その父も成し遂げられなかった「東京優駿(日本ダービー)」をワグネリアン(5番人気)で優勝。福永家の〝悲願〟を達成したのである。(敬称略)

■小林繁伝234

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