上部専用軌道の終点は、黒部川第四発電所(黒四)だ。もともとの終点は、仙人谷ダムまでだったのを、戦後、関西電力が黒四と黒部ダム建設のため延伸したのである。だが、軌道が敷けたのは発電所までだった。ダム建設予定地までは、標高差が約500メートルあり、とても無理。大量の資材と作業員を別の方法で運び、かつ長野県側から新たなルート確保が必要だった。
北アルプスの赤沢岳をトンネルでぶち抜こうという壮大なプランだが、当然、巨額の資金が必要となる。しかも成功するかどうかわからない。
並の経営者なら断念するところだが、関電初代社長の太田垣士郎は、「戦後復興は電力の安定供給が不可欠だ」との信念でゴーサインを出す。発電所玄関には彼のレリーフとともに次の言葉が掲げられている。
「経営者が十割の自信をもって取りかかる事業。そんなものは仕事のうちには入らない。七割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する。それでなければ本当の事業はやれるものじゃない」
感銘深い。サンケイ君がさっさと通り過ぎようとするので、呼び止めて読ませた。
「経営者じゃなくてよかったです」と、正直に言うので訓戒を垂れようとしたが、やめた。
一方、富山側ルートの「別の方法」として登場したのが、インクラインである。
インクラインとは、斜面にレールを敷き、動力で台車を走らせて荷物などを運ぶ装置で、早い話、巨大なケーブルカーだ。
発電所の乗り口で待っていると、ゴォオ、ゴォオと巨人のうなり声のような轟音(ごうおん)が聞こえてきた。ゆっくり、ゆっくりと鉄仮面のようなインクラインが降りてきたのだ。最大25トンの荷物を運べるほどデカい。
中は結構広く、ベンチシートが並べられている。
傾斜角度は34度。下から見ると、とても歩けそうにない角度だが、ガイドの黙阿弥さんは「万が一の場合は、側道を歩いてもらいますが、救援の者が来るまで動いてはいけません」と、淡々と注意事項を伝達する。ヘルメットの紐(ひも)を結び直したのは言うまでもない。標高869メートルの発電所から同1325メートルにある黒部ダムの作廊まで20分。坂の真ん中あたりで、下りと行き違うが、迫力満点だ。
終点では、バスがお出迎え。黒部ダムまではまだ40分かかる。朝も早かったので、目をつぶったのもつかの間。黙阿弥さんの「どうぞ降りてください」という大きな声で目が覚めた。えらく早いなと思ったら横坑を見学させてくれるという。
横坑とは、掘削した岩石を捨てるため本坑とは別に掘ったトンネルで、寒いくらいにひんやりしている。しばらく歩き、「どこでもドア」のような扉をあけると、まぶしい外界に出た。残雪を抱いた北アルプスが、眼前に迫る。登山者の特権だったこの眼福が、来年には気軽に味わうことができるとはありがたい。黒部ダムはもうすぐだ。感謝感激雨あられの「シン・令和阿房列車」最終回は明日のこころだぁ!(乾正人)