5月30日にベルーナドームで行われるプロ野球交流戦の西武-阪神の試合前、両チームのOBで2020年に野球殿堂入りした田淵幸一氏(76)の表彰セレモニーが行われる。放った本塁打は歴代11位の474本だが、通算安打は1532本でトップ100位圏外だ。通算2千安打が打者の入会条件の名球会とは縁がなく「最も本塁打を打った名球会入りしていない選手」(入会を辞退した落合博満=元日本ハム=を除く)だが、この記録こそがファンの心に残る「ホームランアーチスト」としての魅力を物語っている。
本来なら殿堂入りした20年のオールスターで表彰式を行うはずだったが、新型コロナウイルスの感染拡大で中止になり、ファンの前で表彰式を行えなかった。ベルーナドームでのセレモニーは花束贈呈、記念撮影、本人からのあいさつが予定されている。阪神、西武ともに在籍した田淵氏は「私ほど罵声と歓声を受けた選手はいない。しかも関西と関東両方でね」と語ったことがあり、喜びもひとしおだろう。
田淵は法大で通算22本塁打の東京六大学リーグ記録(当時)をつくり、1969年ドラフト1位で阪神に入団し、1年目から強打の捕手として活躍し新人王を獲得。75年は43本で本塁打王に輝き、王貞治(巨人)の14年連続のタイトルを阻止した。79年に西武へ移籍。主に指名打者で活躍し、82、83年のチーム日本一に貢献。84年限りで引退した。1739試合出場で打率2割6分、1532安打、474本塁打、1135打点という通算成績を残したが、日米通算で2千安打以上が条件の名球会入りはならなかった。しかし、田淵は名球会員に負けない本塁打に関する数字をもっている。
それは本塁打を1本打つのに打数がいくつ必要かを表す本塁打率(打数を本塁打数で割った数字)だ。
田淵が474本塁打を放つのに要した打数は5881。つまり12・41打数に1本打つ計算だ。通算400本塁打以上で田淵を上回るのは王だけ。9250打数868本塁打で本塁打率は10・66。名球会員の松井秀喜(元巨人)は日米通算で17・78、清原和博(元オリックス)は14・88。天性のホームランバッターといわれた田淵は高確率でアーチを描いていたわけだ。
田淵の本塁打の打球はゆっくりと舞い上がり、放物線を描いて左翼席に飛び込む。スタンドに美しいアーチをかける「アーチスト」としてファンに愛された田淵を語る数字は通算安打数では決してない。
その意味で根強くあるのが入会条件の多様化で、そのひとつが「400本塁打以上」。プロ野球で通算2千安打達成者は54人いるが、400発はわずか20人。うち16人が2千安打も達成しているが、田淵のほか、タフィ・ローズ(元オリックス=464本塁打、1792安打)、山崎武司(元中日=403本塁打、1834安打)、そして現役の中村剛也(西武)が安打数で届いていない。いずれの選手も偉大な記録を残した選手といえるだろう。
田淵のスラッガーとしての実績が認められ、野球人最高の名誉である野球殿堂入りしたのは喜ばしい限りだ。殿堂入りした場合、東京ドームにある野球殿堂博物館にメンバーの顔が彫られたレリーフが飾られる。ユニホーム組は選手や監督時代の姿がデザインされており、どのチームかは本人の希望が尊重されるが、田淵氏がレリーフでかぶっているのは阪神の帽子。プロ野球人・田淵氏の原点は阪神タイガース、そして甲子園にあるのだろうか。阪神ファンにとっては、三代目ミスタータイガースの選択はうれしいものだろう。