変わる花園

〝二刀流〟に挑戦 ラグビーもサッカーも 進化する「聖地」

アスルクラロ沼津戦で、ゴールに攻め入るFC大阪の選手ら=4月29日、大阪府東大阪市の花園ラグビー場(西川博明撮影)
アスルクラロ沼津戦で、ゴールに攻め入るFC大阪の選手ら=4月29日、大阪府東大阪市の花園ラグビー場(西川博明撮影)

国内ラグビーの「聖地」として知られ、2019年のラグビーワールドカップ(W杯)公式戦も開催された大阪府東大阪市の同市花園ラグビー場が、今春から「サッカースタジアム」としての運用も始めている。長年ラグビー専用スタジアムとして使用されてきたが、サッカーJリーグ(J3)の公式戦も定期開催するようになったのだ。同じフットボールのラグビーとサッカーだが、年間を通じて両競技を楽しめるスタジアムは珍しいという。〝二刀流〟で聖地の新たな可能性を切り開く考えだ。

ゴンも絶賛

「非常にすばらしいスタジアム。観客は2万人入るの? うちにもほしいね」

大型連休が始まった4月29日。J3の「アスルクラロ沼津」監督で、「ゴン」の愛称でおなじみのサッカー元日本代表、中山雅史さん(55)は、花園ラグビー場での公式戦でそんな感想を語った。

ラグビーリーグワン1部の古豪「花園近鉄ライナーズ」の本拠地、花園ラグビー場。昨年12月開幕の同リーグ公式戦に加え、今年3月からJ3公式戦も始まった。同市がホームタウンの「FC大阪」が今季からJ3へ昇格し、本拠地を花園ラグビー場に置いたためだ。

FC大阪は同市をホームタウンにしていながら、ホームゲームは服部緑地陸上競技場(大阪府豊中市)が中心だった。昨年、日本フットボールリーグ(JFL)で上位につけJ3昇格が射程に入ると、花園を本拠地とする構想が加速。

花園を所有する東大阪市も歩調を合わせる。同市が掲げる「スポーツのまちづくり」の理念を後押しすることや、花園の稼働率アップも期待できることなどから実現した。

こうした競技場は「ラグビーやサッカーの本場である英国では珍しくない」(FC大阪関係者)というが、日本ではあまり例がない。ラグビーリーグワン1部の静岡ブルーレヴズ、サッカーJ2のジュビロ磐田がそれぞれ本拠地を置くヤマハスタジアム(静岡県磐田市)が国内での先行事例という。

芝生管理に職人技

ほぼ同一期間中に2競技で利用されることで、グラウンド管理では難しい運営を求められる。特に3~5月はラグビーとJリーグのシーズンが重なり、ほぼ毎週のように両競技の公式戦が組まれる。芝生の傷みが早まり、これまで以上の手当てが必要だ。

芝生管理の責任者を務める扇誠さん(41)は「特にラグビーの試合後はグラウンドにボコボコの穴ができる。その穴を直すために機械をかけるなど、手間を惜しまないことを心掛けている」と話す。

芝刈り機でグラウンドを手入れする扇誠さん=大阪府東大阪市の花園ラグビー場 (西川博明撮影)
芝刈り機でグラウンドを手入れする扇誠さん=大阪府東大阪市の花園ラグビー場 (西川博明撮影)

扇さんによると、花園では年末年始の全国高校ラグビー大会でベストコンディションにもっていくのが管理の基本だった。そのため、ラグビーのオフシーズンとなる「6~9月は芝生を育てる期間という位置づけだった」という。

ただ、ラグビーリーグワンは5月中旬で今シーズンを終えたが、J3は12月までシーズンが続く。これまで経験のない競技場の通年使用。そのため、通年使用に耐えられるような芝生管理を試行錯誤してきた。試合の日程を考え、芝生が擦り切れる前に次の芝生が育つように、これまでよりもタネを前倒しでまくようにした。

今シーズンの最終戦を戦う花園近鉄ライナーズの選手ら=13日、大阪府東大阪市の花園ラグビー場 (西川博明撮影)
今シーズンの最終戦を戦う花園近鉄ライナーズの選手ら=13日、大阪府東大阪市の花園ラグビー場 (西川博明撮影)

さらに、別の問題もある。芝生の長さの違いだ。スクラムを組み、足元を踏ん張るラグビー、ボールを速く転がすサッカー。ラグビーでは芝生は耐久性があり、深くてクッション性が高い。一方、サッカー場の芝生は比較的、短く刈るのが一般的という。

扇さんによると、花園の芝生の長さの基準は35ミリと「ラグビー仕様」だ。ただ、今シーズンからは「長さ35ミリの基準は変わらないが、ラグビーとサッカーの併用時期は10~25ミリの範囲で落としどころを見つけている」と明かす。

花園近鉄ライナーズの野中翔平主将(27)は「僕は個人的に芝生が短いほうが好き。動きやすいと感じた」と話し、今のところラグビー側からの「苦情」はない。扇さんは「ラグビーとサッカーは併用できないといわれていた芝生管理にチャレンジできるのは、やりがいを感じる。うまく成功させたい」と前を向く。

フットボールパークへ

日本初のラグビー専用スタジアム、花園が誕生したきっかけは、95年前の昭和3年10月にさかのぼる。奈良・橿原神宮参拝で大阪電気軌道(現近畿日本鉄道)に乗車された昭和天皇の弟、秩父宮殿下から次のお言葉があった。

「沿線にはずいぶん空き地が多いじゃないか。この辺に今台頭しつつあるラグビーの専用競技場をつくったらどうか」

同社は同年12月の役員会でラグビー場建設を決議。4年11月、当時の大阪府中河内郡英田村吉田花園(現・東大阪市)に花園ラグビー場が完成した。

昭和38年からは全国高校ラグビー大会が毎年開催され「聖地」と呼ばれるようになった。

平成27年、所有者が近鉄から東大阪市へ移り「東大阪市花園ラグビー場」に名称を変更。大型映像設備やナイター照明などを備えた大規模改修も行われ、ラグビーW杯をきっかけに世界仕様の競技場に生まれ変わった。

そしてサッカースタジアムの用途も加わり、進化を続ける。将来はJ2、J1への昇格を狙うFC大阪の近藤祐輔社長(36)は「ライナーズをリスペクト(尊敬)しつつ、われわれも勝ち続けることで花園が『フットボールパーク』と呼ばれるようにしたい」と意気込む。(西川博明)

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