小林のオープン戦初登板は昭和54年3月4日、日曜日の阪急戦。小林と山田の対決。甲子園球場には1万4千人のファンがやってきた。
大歓声を受けてマウンドに上がった小林が若菜へウオームアップの1球目を投げた。すると右足が軽い痙攣(けいれん)を起こした。心配そうに駆け寄る若菜。小林は「大丈夫」と笑顔で答えた。
実は登板前、小林は2年前の阪急との「日本シリーズ」を思い出していた。
昭和52年10月22日、西宮球場。小林は〝開幕投手〟を任された。相手はシンカーを武器とする憧れのエース山田。怖さはない。ところが、マウンドに上がったとたんに両ヒザが震え出した。
「止まれ、止まれ」。小林は何度もつぶやいた。「これが重圧?」
そんな小林に阪急打線はいきなり襲いかかった。福本が右翼へ二塁打を放つと大熊の送りバント、加藤秀の中犠飛であっさり先制。小林は2イニングでマウンドを降りた。4安打1三振1四球3失点。長嶋監督は以降、小林を先発から外し、リリーフへ回した。結果は1勝4敗。完敗の日本シリーズとなった。
目の前にあの「宿敵・阪急」。抑えてやる…と力んでも不思議ではない。すると足の痙攣。小林はマウンドで自分を笑った。
「そんなに力んでいるつもりじゃなかったのに…。性格かなぁ。変なところに力が入っちゃって」
◇3月4日 甲子園球場
阪急 000 010 010=2
阪神 000 010 000=1
(勝)山口1勝1S 〔敗〕江本1敗
(本)若菜①(白石)
冷静さを取り戻した小林は丁寧に低めをついた。一回、先頭の簑田を三振。ウイリアムス、マルカーノに連続ヒットされたものの後続をピシャリ。二回には無死一塁で大隅を、三回にも1死一塁でウイリアムスを〝新兵器〟のシンカーでいずれも併殺に打ち取った。
4イニングを54球、2安打、1三振、3四死球の無失点。まずまずの投球だ。
「いやぁ、山田さんにくらべると恥ずかしいようなピッチングでした。コントロールが悪かった。でも、要所はうまく締められました」
『宿敵相手に小林好投』―。だが、翌日のスポーツ紙の1面を飾ったのは「小林」ではなく、4日、兵庫・阪神競馬場で起こった〝大惨事〟だった。
11レース『第26回毎日杯』であの事故は起こった。(敬称略)