大相撲夏場所で大関昇進を確実にした関脇霧馬山(27)。モンゴルから18歳で来日し、倦まず撓まず努力を続けた大関への道を、連載でたどる。
異文化で生きる寂しさ
陸奥部屋の力士たちは、霧馬山が入門したての頃、頭から布団をかぶっている姿を何度か見た。モンゴル語で頻繁に電話もしていた。通話相手は故郷の両親だったに違いない。その背中には異文化で生きていく寂しさがにじんでいた。
全く日本語が分からない中での生活。霧馬山は初めて部屋に泊まり、稽古を始めた日のことをよく覚えている。18歳で来日した平成27年の初場所後。「ゆっくり寝てたら先輩たちが来て(ジェスチャーを交えて)『早く起きろ』みたいな。5時半くらいで、何だか分からなかった。『お相撲さんになったらおいしい物を食べられるよ』くらいしか教えてもらってなかったから」
吸収力が大関昇進のカギ
入門前から柔道の合宿で東海大などを数回訪れたことがあり、元々、日本には好感を持っていた。それでも「相撲部屋に慣れなかった頃はきつかった。泣いたし、何回もモンゴルに帰りたいと思った」という。
初土俵が霧馬山より2場所早い兄弟子の幕下大日堂は、かつてをこう振り返る。「相撲の飲み込みも、日本語を理解できるようになるのも早かったと思いますね」。モンゴル相撲と柔道の有望選手だった細身の青年は、強い足腰を生かして番付を上げた。
長く近くで見てきた霧馬山の性格は「基本、優しい。付け人にもあまり怒らないし、感情的にならない」。むしろ他者に対する態度やトレーニングへの熱は番付が上がるにつれて向上してきた。「メリハリは昔からあった気がします。やらないときはやらないけど、やるときはやる。あと本当に素直。言われたことはちゃんとやる」。その吸収力が大関昇進の一つのカギになったとみている。
日馬富士と握手「最高だった」
純粋さは時に大きな力を生む。霧馬山は入門してすぐ両国国技館の診療所で、憧れていた横綱日馬富士と偶然会い、握手をしてもらった。「最高だった」。ほどなく部屋の仲間たちに、片言の日本語で「横綱になります」と口にするようになった。初土俵から丸8年。その夢にまた一歩、近づいた。(宝田将志)