シン・令和阿房列車で行こう

第三列車 黒部の太陽編④ 「高熱隧道」を走るマッチ箱列車

トンネル内にある「欅平下部」。奥がエレベーター
トンネル内にある「欅平下部」。奥がエレベーター

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「ああ、いました、いました。写真を撮る時間は十分ありますよ」

終点の欅平(けやきだいら)駅でガイドの黙阿弥さんが、アイドルを見つけたかのように指をさした。

黒部峡谷鉄道でも数少なくなった凸型のEDS13形機関車が客車の入れ替え作業を行っていたのである。登場してから65年。私より4つ先輩だ。いつまでも元気で走り続けてほしい。

我々の乗った客車は、作業員が乗っていた車両から切り離され、別の機関車に牽引(けんいん)されて欅平の駅から数百メートルトンネルを入ったところにある竪坑エレベーターの乗車口「欅平下部」で止まった。ここからヘルメットをかぶらねばならない。

発車を待つ上部専用軌道の蓄電池式機関車
発車を待つ上部専用軌道の蓄電池式機関車

ゴツゴツとした岩肌むき出しの「欅平下部」は、インディ・ジョーンズの世界に迷い込んだような空間だ。我々が探し求めるお宝「上部専用軌道」の乗り場は、ここからエレベーターで一気に200メートル上昇した「欅平上部」にある。高さ200メートルといえば、50階建ての高層ビルに匹敵する。

竪坑エレベーターは、仙人谷ダム建設用の資材を運ぶため戦前の昭和14年につくられた。同ダムは黒部川第3発電所の取水用として計画されたが、発電所のある欅平から上流はあまりにも急峻(きゅうしゅん)で、川沿いに鉄道を敷設するのは不可能だった。窮余の一策として山の中腹をくり抜いて竪坑を掘り、エレベーターを設置したのである。戦前にこれほどの建造物がつくられていたとは驚きである。

「欅平上部」まで1分と少し。あっという間だった。

さあ、いよいよ上部専用軌道である。蓄電池式機関車に牽(ひ)かれた客車はマッチ箱のようだ。しかも耐熱仕様である。それはなぜか。

ここから仙人谷ダムまで5・5キロ。本格的にトンネル工事が始まったのは、日中戦争が勃発した昭和12年だが、掘り進めるにつれ、岩盤温度が上昇し始めたのである。当初はセ氏65度だったのが、100度を超え、ついには166度に達した。

これではまともな工事はできない。熱中症でバタバタと作業員が倒れたのは序の口で、ダイナマイトの自然発火による暴発事故が何度も起き、多数の死傷者が出た。加えて昭和13年12月には、大雪崩が作業員の寝泊まりする飯場を直撃し、84人が死亡した。見るに見かねた富山県警察部が工事中止命令を出したほど。電源開発は国策だったため、工事は続行されたが、犠牲者総数は300人を超えた。

この難工事を「高熱隧道」(新潮文庫)という小説にまとめた作家の吉村昭は、取材で上部専用軌道に乗ったときの模様をこう書いている。

「急速にたかまってくる熱気とそして湯気の密度に、私は、なにかこの隧道内に異常事態が起っているのではないかと思った。(中略)その異常な熱さは私の落ち着きを失わせた」

「異常な熱さ」とは、どのくらいの熱さなのか。熱さに弱く、サウナで整うことができない私はどうすればいいのか?

スリルとサスペンスいっぱいの「高熱隧道」乗車記は、明日のこころだぁ!(乾正人)

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