出版不況のなか、個人で出版業務を担う「独立系・ひとり出版社」の存在感が高まっている。滋賀県長浜市で「能美舎(のうびしゃ)」を営む堀江昌史(まさみ)さん(37)もその一人。滋賀・長浜にこだわり、「地元の人に喜んでもらえるような書籍を出版していきたい」と話す。地元の人たちの取り組みを書籍という形で残すことは「推し活」でもあるという。
地元本を1人で
堀江さんは元朝日新聞記者。能美舎は、平成28年に「新聞記者の聞く力を生かした本づくりがしたい」と立ち上げた。長浜市の古民家で、夫とともに畑で自家栽培した野菜を用いた料理を提供する「丘峰喫茶店」を週3日開業しており、その合間に本づくりを行っている。
書籍の企画から取材、編集に加え、営業や交流サイト(SNS)の宣伝まで1人で担い、年1~3冊のペースで出版。これまでの7年間で、手掛けた本は復刊を含めて14冊に上るが、多くは地元に関する書籍だ。
長浜に移住した女性8人の日常と本音をつづった雑誌『サバイブユートピア』▽滋賀県栗東市の郷土料理家のレシピ本『もんぺおばさんの田舎料理帖』▽長浜市を舞台にした井上靖の小説の復刻版『星と祭』-など、ジャンルも多岐にわたる。
とりわけ、2歳から4000日以上、琵琶湖に通い続けたという魚が大好きな大津市の男子中学生が筆者となった書籍『はじめてのびわこの魚』は好評だった。色鉛筆で琵琶湖に生息する魚50種を描いた図鑑絵本だが、躍動感あふれる筆致で話題となり、初版3千部は3カ月で完売した。
5月末には新刊『自然と神々と暮らした人びとの民具 小原かご』を発売予定だ。滋賀と福井の県境でかつて作られていた伝統工芸品・小原かごの歴史をひもとく意欲作となっている。
堀江さんにとって書籍づくりは、自分にとってイチオシの人やキャラクターを応援する活動「推し活」でもあるという。
「大手出版社は売り上げ目標が最優先になりがちになる。ひとり出版社は著者が好きで『この人の取り組みを形に残したい』という純粋な気持ちを追求できる」と話す。
生きた証しを書籍に
記者時代は多忙だったがやりがいもあった。ただ、27歳のとき婦人科系の病気を患ったことで翌年休職することに。実家がある東京には戻らず、当時の赴任地だった滋賀に留まって療養していた。
そんなとき、知り合った韓国語講師、永田純子さん=享年47=から「本を作りたい」と相談を受けた。当時、永田さんは卵巣がんを患い、余命3週間と宣告されていた。
堀江さんは、亡くなるまでの間、永田さんの寝床で寄り添いながら一つ一つの言葉を丁寧に聞き取った。そして、後に永田さんの旅行闘病記として『「がん」と旅する飛び出し坊や』を発行。大きな反響を呼んだ。
「作ってくれてありがとう」。関係者たちから、そんな言葉をかけられ「私でもまだ誰かの役に立てる」と思った。本が出来上がる前に記者を辞め、虚無感にさいなまれていた日々だったが、出版社をしていく決意を決めた。
増えるひとり出版社
出版社の業界団体「版元ドットコム」によると、平成25年に201社だった会員数は今年4月には507社まで急増。堀江さんのような新規創業者の中にはひとり出版社も多いという。
東京都府中市で書店も経営するひとり出版社「よはく舎」代表の小林えみさんは「大手では採算が見合わずに見送られる企画も『こんな本を出したい』という思い一つで、本を出すことができる」とひとり出版社の魅力を語る。
かつては専門職に依頼していた印刷やデザインも技術革新が進行。流通も個人が加入しやすい取次業者が増えるなど、ひとり出版社が参入しやすい環境が整ってきたという。さらに新型コロナウイルス禍で働き方を見直す人が増えたのも拍車をかけたとみている。
例えば、高松市のひとり出版社「万葉社」は、若者言葉に表現した超訳本『愛するよりも愛されたい 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集』を出版。発行部数9万部のヒットとなっている。このほか、猫の本を専門に出版する「ねこねっこ」(千葉市)やフェミニズムを専門に扱う「エトセトラブックス」(東京都)など、それぞれ個性を生かした出版活動を展開している。
小林さんは「雑誌を中心とした書籍の落ち込みが出版不況として語られがちだが、海外市場への進出や電子書籍など大手を中心に出版産業の新たな活路は広がっている。多様性を持った本を輩出するひとり出版社の活躍もその一つになれば」と期待を込めた。(木下未希)