古墳時代の集落跡「西岩田遺跡」(大阪府東大阪市)から出土し、注目されている3世紀前半の木製仮面。焼けた鍬(くわ)などと一緒に見つかっていることから、この地の有力者による大規模な農耕祭祀(さいし)に使われたとみられるが、同時代の木製仮面は邪馬台国の有力候補地で、ヤマト王権発祥の地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)など2カ所でも見つかっている。人の顔をした仮面は、「人格化した神」を表し、ヤマト王権の儀礼の影響を受けているとの指摘もあり、纒向、西岩田両遺跡の強いつながりが推測される。古墳時代には(河内)湖岸の港としての機能を持つ集落跡とされる西岩田遺跡は、河川で纒向遺跡と結ばれる位置にあり、ヤマト王権の対外的な窓口の役割を担っていたのかもしれない。
洪水の地層から
西岩田遺跡で見つかった木製仮面はスギ材で作られており、長さ29・9センチ、幅17・7センチ、厚さは最大2センチ。両目と口の部分はくり抜かれ、中央部分は周囲を削り出し、わずかに隆起させて鼻を表現。右耳付近には小さな穴があけられており、ひもなどを通した可能性はある。が、現状で約300グラムと重量があるうえ、厚みもあり、裏面が扁平(へんぺい)で顔に装着するのは不向きなことから、柱などにくくりつけるか、手で持って使用したとみられている。
この仮面は、洪水堆積層の地下2・9メートルの地点から、水を入れる容器や、火に焼かれて炭化した鍬などの木製品とともに見つかっており、古墳時代の大洪水によって、他の集落から出土場所に移動した可能性がある。