深層リポート

長野発 持続可能な漁業の〝お手本〟に 「放流しない」渓流の漁場管理

雑魚川本流に向かう釣り人たち(原田成樹撮影)
雑魚川本流に向かう釣り人たち(原田成樹撮影)

国内有数のスノーリゾート「志賀高原」(長野県山ノ内町)は、イワナなど渓流魚の釣り場としても名高い。半世紀以上前には乱開発で汚染され奇形の魚まで生まれたが、徹底した自然保護で、原種イワナがあふれる川に再生した。県が指導する稚魚の放流をも拒む我流の自然保護だったが、半世紀を超えて、今では水産庁のパンフレットに載る持続可能な漁業の〝お手本〟になった。

禁漁にして繁殖

志賀高原岩菅山系を源流とする河川「雑魚(ざこ)川」の釣り場は、養殖ではなく、太古からこの川で命をつなぐ天然イワナが釣れることで知られる。全国の河川で、ほとんどの漁協は行政が指導する養殖稚魚の放流を続けてきたが、志賀高原は、県の放流指導に「一貫して逆らってきた」。

それにもかかわらず、県水産試験場によるとイワナの密度は1平方メートル当たり0・9尾(令和3年)と県内平均の約3倍。志賀高原漁業協同組合理事の山口憲昭さんによると「全長60センチ近くのものもいる。流れの速い川で育つためか、養殖魚と比べ、全てのひれが大きい」。魚がよくアタり、しかも天然もの(原種)で〝主〟もいる。

この一貫した取り組みは、令和3年に水産庁が発行したパンフレット「放流だけに頼らない! 天然・野生の渓流魚を増やす漁場管理」に取り上げられ、今年2月発行のパンフでも触れられている。

志賀高原は、釣り場である雑魚(ざこ)川に流れ込む支流を禁漁区に設定し、野生の繁殖場として活用してきた。漁協の児玉英二組合長(75)は、密漁には目を光らせ、開き直った釣り人には、魚の腹を割いて数百ある卵を見せ、「これが孵化(ふか)するはずだったんだと諭したこともあった」という。

ここまで徹底するには訳がある。昭和40年頃にホテル開発が進み、「川を歩くと汚泥が浮き、奇形の魚も出た」ことの反動からだ。当時の組合員は開発業者らと「夜歩くと何をされるか分からないほど」に激論を交わし、意識を変えさせた。スキーブーム、平成10年の長野冬季五輪も、水環境を守って乗り越えた。

木も石も魚のため

「魚を守るには水を守る 水を守るには山を守り、森、木を守る」。志賀高原漁業協同組合の信念だ。国立公園としての規制に加え、木一本の伐採にも漁協の承認が必要。児玉組合長によると、スキー場を造成する際も表土をとっておいてあとでかぶせ、石垣は地元の石に限る。すべては魚のためだ。

水産庁が発行したパンフレットを監修した水産研究・教育機構の宮本幸太主任研究員は、「少子高齢化で漁協の維持が難しくなっている。山間地では漁協が解散し、違法漁業が横行して禁漁措置が取られる事態となったところもある」と、渓流環境を守ってきたシステムが崩れつつあると訴える。さらに、「昨年からの物価高騰による魚や餌の値上がりが追い打ちをかけている」とし、財政難の漁協に、志賀高原のような上流の禁漁区や、釣った魚を戻す「キャッチ&リリース区」設定の検討を促す考えだ。異端児は、社会経済情勢の移ろいの中、模範生へと変わった。

最近では、放流に疑問の声も挙がっている。今年初め、日米の研究チームが北海道の河川で行われる稚魚の放流の多くは対象種を増やす効果がないとの結果をまとめ、発表。種内の競争を激化させて自然繁殖を抑制し、逆に生態系を乱すため他種を含む魚類全体は減るなどとしている。

内水面漁業と増殖義務 漁業権は、都道府県知事の免許による、一定の水面において排他的に特定の漁業を営む権利。海とは違い、内水面(河川や湖沼)においては水産資源の枯渇が懸念されるため、県などは免許を交付した漁協などに稚魚や卵の放流、産卵床の造成などの増殖義務を課している。禁漁区やキャッチ&リリース区の設定は魚を増やす効果があるものの、「増殖行為」とはみなされていない。

記者の独り言 解禁日、まだ雪の残る志賀高原の雑魚川本流に向かう釣り人に同行した。いや、同行しようとしたが、通常の登山の格好では歯が立たなかった。釣り場まで道はなく、やぶ漕ぎが必要で、水辺のコケむした岩は登山靴では滑る。切り立った崖では川の中を歩くほうが安全だったりするが、腰の辺りまであるナイロンやゴム製のズボンが必要だ。あっという間に見失った。漁協の人の「ここで釣りの風景を撮影するのは大変ですよ」というのは本当だった。(原田成樹)

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