シン・令和阿房列車で行こう

第三列車 黒部の太陽編② 宇奈月で三船敏郎の労苦を偲ぶ

緑なす大地を疾走する富山地方鉄道14760形電車
緑なす大地を疾走する富山地方鉄道14760形電車

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午後3時53分新黒部発宇奈月温泉行き電車は、外見こそ令和風の青い洒落(しゃれ)たラッピングを施しているが、車内は昭和の薫り高い転換クロスシートだ。

始発の電鉄富山駅から1時間20分以上乗っているサンケイ君は、「どうぞ、どうぞ」とまるで自宅の応接間に招じ入れるかのように迎えてくれた。

コロナ禍による規制が解除され、転換クロスシートを倒して向かい合わせで座れるのが嬉(うれ)しい。雨男サンケイ君は、前回の「越乃Shu*Kura」で吞(の)んだ日本酒のおかげで厄落としができたのか、本日も晴天なり。車窓いっぱいに広がる山々の緑がまぶしい。

午後4時17分、宇奈月温泉駅着。駅前の噴水は、水の代わりに無色透明の温泉水を景気よく噴き上げていた。実は宇奈月から温泉は出ない。ご当地から黒部川を上流に7キロ遡(さかのぼ)った湯量豊富な黒薙温泉からの引湯で、今年開湯100年を迎えた。黒部川の電源開発が生んだ大正ロマン溢(あふ)れる温泉地なのだ。

今宵(こよい)の宿は、「桃源」にとった。実は、この宿も旅のきっかけをつくってくれた小学4年生ご推薦の旅館なのである。

「部屋からのながめは最高です。地ビールの宇奈月ビールもおいしいそうです」

こう書かれたら泊まらざるを得ない。末恐ろしい才能の持ち主だ。

調べてみると、とても会社の経費では泊まれそうにない高級旅館だが、やむを得ない。足が出た分は、自腹で払おうと清水の舞台から飛び降りる覚悟を決めて予約した。

いやぁ、泊まってよかった。

5月5日、石川県珠洲市で震度6強を記録した地震の影響で、急遽(きゅうきょ)キャンセルが出たため広い部屋に同料金でアップグレードしてくれたのも幸運だった。会社にも家にも内緒だが、十数畳もある応接間付きでベッドルームが2つもある部屋に泊まったのは、わが生涯で初めてである。眼下には清々(すがすが)しい黒部川が流れる。湯上がりの冷えた宇奈月ビールは確かにうまい。

「まるで三船敏郎になった気分ですね」

彼が「男は黙って○○ビール」と宣伝したのは別銘柄だが、まぁいいとしよう。実は三船は、この宿に泊まって黒部ダム建設に命をかけて取り組んだ男たちを描いた映画「黒部の太陽」のロケを陣頭指揮したという。昭和43年に封切られた同作は、大手映画会社から独立していた三船と石原裕次郎の二大巨頭が、がっちり組んだスペクタル巨編で大ヒットした。2人の俳優の命運をかけた映画づくりは、黒部ダム建設と同様、既成勢力の横槍(よこやり)もあり、苦難の連続だったという。無色透明な弱アルカリ性の単純泉が、三船とスタッフを癒やしたことだろう。

白エビの天ぷら(手前)とホタルイカ
白エビの天ぷら(手前)とホタルイカ

宿の夕餉(ゆうげ)も期待に違わなかった。富山名物・白エビの天ぷらにホタルイカのしゃぶしゃぶ、アワビのバター焼きと、「御馳走帖」というエッセーまで書いた食いしん坊の百閒先生にも味わっていただきたかった。

部屋でのんびり朝寝を楽しみたかったが、上部専用軌道に乗るためには、午前6時半には起きねばならない。一般公開されていないので、接続するトロッコ列車を選べないためなのだが、後ろ髪を引かれるとはこのことだ。

いよいよ、小4生推薦の黒部峡谷鉄道のあれこれは、明日のこころだぁ!(乾正人)

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