小欄は小学生の頃、学校の先生が自宅で開いた塾に通っていた。当時、教員の給料が安くそれだけでは生活が苦しかった事情もあったようだ。
▼当然、就職先として人気がなく、「でもしか先生」という言葉も生まれた。他にやりたい仕事もないから「先生でもやろう」、あるいは特別な能力がないから「先生にしかなれない」というのだ。
▼そんな風潮に危機感を抱いたのが、昭和47年に政権の座についた田中角栄首相である。「学校教育で一番大切なのは義務教育だ。公立の小中学校にいい先生を集めるために給料を上げろ」。田中氏の号令の下で、2年後には人材確保法が制定された。教員の給与は大幅にアップした。