(月刊「丸」・昭和48年11月号収載)
第三代隊長、中西大尉の延期をねがう具申に、意志に反してともすると感情は肯定しがちな、心の動揺をたちきるように、三橋参謀がつと体を起こしたのは、ちょうど午後七時をうつころだった。浸水のためしきつめたタル木の跡が、背中にくっきりのこっていた。
師団情報参謀、三橋泰夫中佐が敵中を三日間もさまよい、収容されたのは昭和十九年五月二十七日の夜。今日また、弾薬が底を突いた師団への決死輸送を試みる。
「中西大尉、世話になった」
「やはり、行かれますか。ご武運の長久をいのります!」
ふたたび会うことのない別れのあいさつにしては、いささか味気ないように思われた。