深層リポート

宮城発 復興予算、震災直後の70分の1 新たな課題も

津波で43人が犠牲になった防災対策庁舎(中央)の周りも整備され、震災伝承施設も完成した=宮城県南三陸町(菊池昭光撮影)
津波で43人が犠牲になった防災対策庁舎(中央)の周りも整備され、震災伝承施設も完成した=宮城県南三陸町(菊池昭光撮影)

東日本大震災から12年が経過したが、宮城県の新年度復興関連予算は防潮堤や復興住宅といったハード面での事業がほぼ終了したとして、震災直後の約70分の1となる224億円に激減した。今後は被災者の心のケアや伝承支援に重点が移る。ただ、復興の仕事がほぼ落ち着いた地元の土木・建設業者は、予算については意外にも冷静に見つめていた。

「言い方はよくないかもしれませんが、まさに特需でした」。県北で建設業を営む40代の男性社長はそう振り返った。平成23年3月11日、南三陸町の海岸から4キロの河川工事をしていた父親はクレーンごと流され、亡くなった。家業を急遽(きゅうきょ)、引き継ぐことになった。

「うちのような中小企業でも震災前の1・2倍。やり手で10倍ほどの利益を得た会社もありました」

つながった三陸道

復興庁によると、平成23~令和2年度の10年間に支出した東日本大震災の復興関連予算は計38兆1711億円だった。インフラ整備などに13兆760億円もの巨額の資金がつぎ込まれた。

県北地区の長年の懸案だった三陸道は一気に青森県までつながり、そのほとんどの区間が無料だ。なかでも防潮堤は、地元に大きな利益をもたらした。コンクリートが足らず、南三陸町では1カ所しかなかったプラントが3カ所に増設され、コンクリートを大量に生産した。「震災がなかったら、(三陸道は)いまでも多分、つながっていなかったでしょうね。倒産寸前の会社や、つぶれかけの会社も息を吹き返した」

宮城県は震災直後の平成23年度、震災関連事業に一般会計で1兆5432億円を計上。予算は復興とともに右肩下がりとなり、3年後の26年度には半分以下の5907億円、10年後の令和3年度には約30分の1の525億円、そして5年度には224億円まで縮小した。

「仕事量は3、4年前に震災前の水準に戻りました。手を広げ過ぎた会社が倒産したり、夜逃げしたりする話はよく聞きます。逆に気仙沼市では、利益を生かしてインドネシアやタイの海外からの研修生を受け入れ、その生徒たちが母国に帰って新たな仕事を生み出してくれている会社もあるようです」

ソフト面にシフト

村井嘉浩知事は令和5年度予算案編成後の記者会見で「復興が私にとっては何よりも最優先。予算が減ったのはハード事業がほぼ終わったから。心のケアや子供のケアに計上する予算は、震災前にはない予算なので、最大限に活用していきたい」と、ハード面からソフト面へシフトしていく方針を明言している。

津波火災の恐ろしさを伝える旧石巻市立門脇小学校=宮城県石巻市(菊池昭光撮影)
津波火災の恐ろしさを伝える旧石巻市立門脇小学校=宮城県石巻市(菊池昭光撮影)

震災関連事業の激減とともに、被災地の建設・土木業界には深刻な問題が再浮上しているという。「ここでも高齢化や人材、後継者不足は、震災前よりも加速度的に進んでいます。もちろん対策は見つかっていない」(男性社長)。犠牲者の「13回忌」という一つの節目を越え、被災地にはさまざまな思いが交錯している。

復興予算 会計検査院によると、東日本大震災の復興予算として国が平成23~令和2年度に計上したのは計44兆7478億円。同年度末時点で支出済みとなったのは38兆1711億円(85・3%)で、予算計上したが使わなかった「不用額」が6兆1448億円(13・7%)、翌年度以降への繰越額が4317億円(0・9%)となった。

記者の独り言 震災直後に宮城県に入り、そのまま約2年間を過ごした。10年ぶりに訪れた被災地は、劇的な変化を遂げていた。そこに残された者の生き続ける意思と、復興への決意。「東北人は我慢強い」というような陳腐な俗説ではない人間の強さを、改めて思い知らされた。(菊池昭光)

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