《まもなく100歳。ピンと伸びた背筋は若々しく、1時間を超える講演も立ったままこなす。人生100歳時代を体現する元気の源は何か。一つは茶道という日本の伝統文化を世界へ、という情熱。もう一つは「海軍の特攻隊(特別攻撃隊)の生き残り」の使命感。茶道の心で世界に平和を―と行脚してきたが、今またウクライナで戦争が起きている。命ある限り、その歩みが止まることはない》
最近、皆さんに「おめでとうございます」と言っていただくことが多いのですが、いやいや、めでたいことなど少しもない。何しろ私は一度、死んできた男ですからね。78年前、先の大戦で。私は海軍の特攻に志願し、多くの友を亡くしました。復員した当時はじくじたる思いでおりました。おめおめと生きて帰ってきたのですから。それが齢(よわい)を重ね、この4月19日で満100歳になります。
《健康で長生きは、だれもが望むことだが…》
いつでもどこでも、そればかり聞かれるのですよ。健康の秘訣(ひけつ)は何だと。でも、別にどうということもないのです。しいていえば、年をとってもその年を忘れているからでしょう。
私の1日は朝4時の起床で始まります。洗面し、そして軽く海軍体操をします。毎日です。足から順にからだを全て動かして、ほら、こうしてね。
《さっと両腕を突き出した動きはとても99歳とは思えない俊敏さ。柔軟運動も柔らかい》
からだは柔軟です。海軍では柔軟でないといけなかった。狭い飛行機の中で操縦するわけですから。体操が終わると座禅をします。毎日だいたい30分くらい。座っているうちに頭がスーッとしてきます。するとだいたい5時前。(千利休の木像がまつられている)「利休御祖堂(おんそどう)」へ行きお経をあげます。次に仏間でもお経をあげ外へ出ます。雨が降っても欠かしません、神様がいらっしゃるのです。
私どもの裏千家今日庵(こんにちあん)には弁天様とお稲荷さんと、お社が2つあります。さらに奥にはお地蔵さんも。その全てのお参りをすませてから朝食となります。私はパン食と米食を代わる代わるいただきます。もちろん、みそ汁ははずせません。パンとミルクと野菜と、別に野菜ジュースも飲みます。コーヒーは飲んだことがありません。お茶ばかりいただきます。あとはヨーグルト。おかげさまでからだの調子はとてもいい。
それから8時ごろ、おはようございますと家族が集まってお茶をいただき、皆が仕事に就きます。私も手紙や書類の決裁、もちろん原稿も書きます。けっこう依頼をいただくのですが、すべて手書きで、パソコンは使いません。携帯も持ちません。原稿は自分の手で書くのが大切で、忘れた漢字はそこで思い出すようにしています。
私の姿勢が良いといわれるのはやはり、茶道のおかげでしょう。茶道では常に「構え」が大切です。千利休居士が大成したお茶は元来、武家のもので、御一新までは武家で茶家でした。京都には利休居士を祖とする表千家、裏千家、武者小路千家がありますが、いずれも通称です。正式には「不審菴(ふしんあん)」「今日庵」「官休庵(かんきゅうあん)」といい、これは各家を代表する茶室の名でもあります。私はその「今日庵」の15代目として生まれました。
(聞き手 山上直子)
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千玄室(せん・げんしつ)
大正12年4月、茶道裏千家14代家元淡々斎の長男として京都府に生まれる。昭和18年、同志社大在学中に学徒出陣で海軍入隊、20年、特別攻撃隊に志願。終戦後の21年、同大卒。39年、15代家元千宗室を襲名した。茶道や日本文化の普及、国際交流に努め、ユネスコ親善大使などを歴任。平成9年、文化勲章受章。14年、長男の16代千宗室氏に代を譲り隠居名千玄室に。号は鵬雲斎。