兵庫県伊丹市の「伊丹シティホテル」が31日で閉館する。長年、地元の市民や文化人から愛され、高校野球の甲子園大会出場校の宿舎にもなってきた地域密着型のホテルだが、施設の老朽化に新型コロナウイルス禍が重なり、運営継続が困難となった。事業の引受先を探したが見つからず、約35年の歴史に幕を閉じる。
「この時期になると『高校野球』という感じだった。球児の姿を見ない今年は、高校野球が遠くなってしまった気がする」
今月29日、同ホテル営業部次長の林宏明さん(59)はこう話し、さみしさをにじませた。
林さんによると、ホテルは昭和62年9月、「伊丹第一ホテル」として開業し、平成13年に現名称に変更。「自分たちの街のホテルを作ろう」と、市や地元の有力企業が出資して建てられた。親子2世代で結婚式を挙げた人がいたり、広場で市民の盆踊りが行われたりと、開業以来地元を中心に愛されてきた。
■田辺聖子さん愛用
伊丹市に住んでいた作家の田辺聖子さんも常連客。夫とホテル内のバーで酒をたしなんでいたといい、令和元年に亡くなった際も、ホテルでお別れの会が開かれた。同じく地元在住の作家、宮本輝さんも愛用していた一人。妻の提案でサプライズのお祝い会をしたこともあったという。
昭和63年の夏からは、甲子園大会に出場する埼玉と三重の代表校の受け入れを開始。地域で球児を応援し、平成25年に浦和学院(埼玉)が春のセンバツ優勝、29年に花咲徳栄(同)が夏の選手権大会優勝を果たすと、伊丹の街全体が盛り上がったという。
しかし、開業から30年以上が経過し、宿泊客から見えるところはきれいに保たれているものの、給排水管や空調管などの劣化が進行。修理費用には約30億円が必要となるが、そこにコロナ禍が直撃した。
■コロナ禍で大打撃
収益の柱の一つだった宴会がなくなったうえ、大阪空港から近い立地で多かったビジネス客も激減。約30年前のピーク時には年間30億円以上あった売り上げは、コロナ禍で年間約3億円にまで落ち込んだ。
赤字が続き、昨年6月の株主総会で営業終了を決議。昨年夏で、高校球児の受け入れも終えた。株を所有する市が事業の継承先を探したが、修繕費などがネックとなって見つからず今月、正式に閉館が決まった。
最近は、営業終了を知った近隣の人が泊まりにきてくれるというが、宿泊客も31日のチェックアウトが最後。同日午後2時のレストラン閉店をもって、ホテルの営業も終了する。
特段のセレモニーはなく、静かに最後を迎える予定だ。「お客さんからは『閉まるのはさみしい』と声をかけられるが、まだ実感はない。地元に根ざしたホテルとしてお客さんに成長させてもらって感謝している」と林さん。今後は運営会社が清算を進める見通しだが、建物がどうなるかは未定という。(弓場珠希)