「戦争を体験した人間の心掛けとして、きのう、きょう、あしたの3日のスタンスで生きている。過去のことはどうでもいい。やり通そうという気構えだけはある」
産経新聞の取材にそう語っていた女優の奈良岡朋子さん。代表を務めた劇団民芸の地方巡演が日常で、晩年は戦争を語り継ぐことにも力を注いだ。生涯独身。たばこをくゆらし、好きなパチンコに通い、言いたいことを言う。そのきっぷの良さが多くの芸能人に慕われ、歌手の美空ひばりをはじめ、幅広い交友関係を築いた。
洋画家の奈良岡正夫を父に、東京で生まれた。現在の女子美術大に進み、舞台美術を志して演劇部に入る。だが、演技の魅力に開眼し、卒業後は現在の劇団民芸に進んだ。宇野重吉に鍛えられ、滝沢修と文学座の杉村春子を師と仰いだ。
「芝居から離れられないのは『生』の良さ。楽でないほど燃えてくる」と話したレパートリーは、翻訳劇から日本の作品までと幅広く、無名塾の仲代達矢を客演に迎えた「ドライビング・ミス・デイジー」も高い評価を得た。
一方、NHK「篤姫」「おしん」など数々の人気ドラマのナレーションでも活躍。「地方公演の合間にできる仕事」に限って応じていたもので、公演先にスタッフが収録に出向くことも多かったという。
交友関係は、見込んだ相手と本音で絆を築くことから広がった。生前の美空ひばりとの交流も、美空の実母、加藤喜美枝から「本音で忠告してくれる友人が必要」と頼まれたことがきっかけ。共演した岡本健一に容赦ない「ダメ出し」を浴びせ、食らいついた岡本は、本番で奈良岡をサポートするまで成長した。
晩年は、原爆投下後の広島を描いた井伏鱒二作「黒い雨」の朗読劇をライフワークとした。28年2月、読売演劇大賞芸術栄誉賞の授賞式では、「続けてきたことが唯一、私の才能。北海道から九州まで、多くの人に出会えたことが人生にプラスになった」と語った。奈良岡の穏やかで力強い語り口は多くの人々に鮮烈な印象を残した。