昨年5月1日、日本将棋連盟所属の女流2級として、茨城県取手市出身の鎌田美礼さんが念願の棋界に足を踏み入れた。中学2年、13歳は当時、現役最年少だった。地元市役所で記者会見に臨んだ際、「女流タイトル挑戦」と目標を色紙に記した。今は亡き母の願いを果たし、女流棋士になって10カ月余り。勉強・部活との「三刀流」で忙しい日々を送っている。
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将棋に出合ったのは6歳、幼稚園の年長のとき。父、敦胤(あつたね)さん(50)が「ちょっと、やってみる?」と、パソコンの将棋ソフトでルールを教えてくれた。同連盟のアマチュア高段保持者でもある敦胤さんは「だんだん強くなったんで、プロになってほしいと思っていた」と振り返る。
しかし、本人は「(将棋は)あまり好きじゃなかった」と笑う。毎週土曜日、地元の将棋教室に通い、自分なりに強くなっていく意識はあった。大会で優勝して賞品がもらえるのもモチベーションとなり、どんどん将棋にのめり込んでいく。小学2年で、同連盟主催の「小学生駒姫名人戦」の一般戦クラスで第3位となった。全国レベルでトップ3。しかし、母の麗子さんからは「何で優勝できないの」と怒られた。
3年のときには、石田和雄九段が師範を務める「柏将棋センター」(千葉県柏市)に通い始めた。大人と指し、棋力もさらに向上。その後、関東研修会に入会した。「ほとんどが男子で、自分には空気が合わない。地獄だった」。それまで習っていた水泳やピアノ、習字、幼児期から活動していたモデルもやめて将棋に専念した。
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小学6年のときだった。麗子さんが42歳の若さで亡くなった。研修会も半年休み、将棋のクラスも降級した。「やらされている」という思いがあった将棋。麗子さんが生前、口にしていた「女流棋士になってほしい」という願い。この言葉が頭から離れなかった。自分にとって将棋とは何か。自問自答を繰り返す中で、プロの女流棋士という目標を改めて見据えた。
「(将棋が)嫌いじゃなくなった。自分がプロになるイメージがだんだん湧いてきました」
研修会に復帰し、将棋と向き合った。そして、迎えた女流2級の資格が得られる一局。「どうせ負けると思っていた」。勝った瞬間、手が震え、足も震えた。母の言葉を現実のものとしたが、「自分が女流棋士として本当にやっていけるか不安でした」。
プロになって約1カ月後の昨年5月28日に迎えたデビュー戦。中倉宏美女流二段との対局だったが、「ひどい内容だった」と、敗戦に悔しさをにじませた。しかし、3局目でようやく初勝利を挙げると、連勝も記録した。
3月7日現在、公式戦の通算成績は5勝7敗(勝率4割1分7厘)。「もっと強くなりたい」と感じている。目標とする女流棋士は室田伊緒女流二段、棋風では谷川浩司十七世名人。
敦胤さんは「強くて、誰にでも好かれる女流棋士になってほしい」とエールを送る。「タイトル挑戦」を目指しひたすら研鑽(けんさん)を積む。
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かまだ・みれい 平成20年、茨城県取手市出身。師匠は石田和雄九段。小学2年生で小学生駒姫名人戦一般戦クラス第3位。石田九段が師範の「柏将棋センター」に通い始め、その後、関東研修会に入会。居飛車党で、令和4年5月、女流棋士の資格を得る女流2級。