かつて広島カープの本拠地で平成24年に解体された旧広島市民球場の跡地(広島市中区)に31日、イベント広場と商業施設「SHIMINT HIROSHIMA(シミントひろしま)」がオープンする。かつての大阪球場(大阪市浪速区)、西宮球場(兵庫県西宮市)など、球場跡地は敷地が広くアクセスも良いことから大型の商業施設に生まれ変わることも多い。広島カープファンには思い入れが強かった旧市民球場だが、球場の設備も再利用しながら市民の憩いの場に生まれ変わる。
年間100万人目指す
「近くには平和記念公園や広島城があり、今のカープの本拠地のマツダスタジアムへもアクセスがいい。広島を訪れる国内外の方への『入り口』にしたい」
開発と運営を担う企業グループ「NEW HIROSHIMA GATEPARK」の代表法人、NTT都市開発の中国支店副支店長、荒木浩文さん(60)はこう話す。
シミントには物販や飲食など16店が出店し、中央広場「ひろしまゲートパークプラザ」を囲むように並ぶ。全体の面積は約4・7ヘクタールで、イベント広場の来場者数は年間100万人を目指すという。
原爆ドーム方面へ向かうピースプロムナード(散歩道)には桜並木を作る予定で、来年2月にはサッカーJ1・サンフレッチェ広島の本拠地となる新スタジアムが北側500メートルにオープン。街のにぎわいづくりに向け、周辺地域との相乗効果が期待される。
また、残っていた旧市民球場のライトスタンドのベンチを再利用して新たにベンチにし、ピッチャープレートとホームベースも公園内に埋め込まれた。
荒木さんは「旧市民球場の記憶を継承するため、敷地は球場跡地の形を残しています」と説明してくれた。
ファンのソウルプレイス
山本浩二、衣笠祥雄、北別府学…。往年の名選手が雄姿を見せた旧広島市民球場は、昭和32年に完成した。平成21年まで半世紀以上にわたり、カープの本拠地として親しまれてきたものの、24年に解体された。
球団が財政難のときは、「たる募金」として市民の寄付が集まった市民球団カープへの愛着は強い。広島市出身の荒木さんも、子供のころからのカープファン。
「昔は、試合があれば球場に足を運んでいた。球場は私たちのソウルプレイス。そんな跡地の仕事をさせてもらえることで、気持ちが入っている」と球場愛を見せる。
カープゆかりの人も期待を込める。
昭和20年代から30年代に、身長167センチと小柄な体格ながら197勝を記録し「小さな大投手」と呼ばれた長谷川良平投手の息子、潤さん(66)は、「父はカープの最初の本拠地だった広島県営球場の方が投げやすかったようだが、市民球場も自分を育ててくれた場所だと言っていた」と振り返る。
長谷川投手は試合の際、家族を球場に呼ばなかったので、市民球場で父親のピッチングを見た経験はほとんどないという。しかし「父がコーチや解説者として通っていた球場。また同じ場所にスタジアムができればよかったが、新しい施設でもどこかで昔のカープのことを思い出してもらえたらうれしい」という。
商業施設でもメモリアル
広大な敷地が活用できる球場跡地は、関西では商業施設に生まれ変わることが多い。そして、球場の思い出も引き継がれている。
南海ホークスの本拠地だった大阪球場の跡地に、平成19年にグランドオープンした商業施設「なんばパークス」には2階の床面に当時と同位置で再現されたホームベースとピッチャープレートのオブジェが埋め込まれている。
9階には「南海ホークスメモリアルギャラリー」があり、歴代選手を紹介するパネルや歴史パネル、優勝トロフィーなどの記念品など当時の思い出の品が展示されている。
担当者は「球団が福岡に渡って30年以上たった今もなお南海ホークスを愛し、メモリアルギャラリーに足を運ばれているお客さまがおられます。ご家族でお越しいただき、当時のファンとみられるお父さまとその娘さまが一緒に観覧いただいている様子なども見られます」という。
阪急ブレーブスの本拠地だった西宮球場の跡地の商業施設「阪急西宮ガーデンズ」にもギャラリーがあり、日本シリーズ優勝時のペナントなどが展示されているほか、4階屋上部分には西宮球場のホームベースのモニュメントもある。
球団がなくなったり、本拠地を他の地域に移したりしたケースと、旧広島市民球場のケースは異なるが、それぞれのファンの聖地として大切にされることに変わりはない。(藤原由梨)