柔の道、寄り添う

康生君と桂ちゃん、そして山下先生…支えられた3人の恩師 斉藤三恵子さん

幼少期の斉藤立(中央)と鈴木桂治氏(右) =斉藤三恵子さん提供
幼少期の斉藤立(中央)と鈴木桂治氏(右) =斉藤三恵子さん提供

井上康生と鈴木桂治―。柔道になじみの薄い人でも、2人の名前を知らない人は少ないのではないでしょうか。康生君は全日本選手権と世界選手権をそれぞれ3度制し、2000年シドニー五輪男子100キロ級の金メダリスト。2学年下の桂(けい)ちゃんは、康生君の背中を追いかける立場で04年アテネ五輪男子100キロ超級の金メダリスト。世界一に2度、日本一にも3度輝いています。康生君の出身が東海大で、桂ちゃんは国士舘大の出身。大学柔道界においては、学生日本一を争うライバル関係にもあります。

2人と同じような構図で描かれていたのが、1984年ロサンゼルス五輪の無差別級を制した山下泰裕先生と、同五輪と次の88年ソウル五輪で男子95キロ超級を2連覇した亡き主人の仁でした。山下先生が東海大出身で、主人は高校から国士舘で鍛えられました。山下先生が9連覇した全日本では苦杯をなめ続け、主人が日本一より先に世界選手権覇者となったときに「エベレストには登ったが、まだ富士山には登っていない」と発した言葉は今も語り草となっています。

私にとっては、主人が国士舘の道場で厳しい指導で接した桂ちゃんは身内のような存在ですが、山下先生も康生君もとてもお世話になっている存在です。

世界選手権の壮行会で井上康生氏(左)と斉藤さん=2015年、東京都内(斉藤三恵子さん提供)
世界選手権の壮行会で井上康生氏(左)と斉藤さん=2015年、東京都内(斉藤三恵子さん提供)

康生君が男子100キロ級で2連覇を期待されたアテネ五輪でまさかの敗退を喫したとき、日本男子の監督だった主人が「康生にもう一個、金メダルを取らせてやりたかった。おれの責任だ」と自分を責めていたことを思い出します。日本男子は2012年ロンドン五輪で史上初めて金メダルゼロに終わりました。主人が強化委員長、康生君が日本男子の監督として迎えるはずだった16年リオデジャネイロ五輪に向けて「ロンドンの借りはリオで返す」が2人の合言葉。日本女子指導陣による暴力問題が発覚した日本柔道界の信頼回復に向けても苦しい時間を共有していました。

当時、康生君は史上最年少で男子代表監督に就任しましたが、主人も強く推していたと聞きました。

だからでしょうか。主人が亡くなったとき、康生君は棺(ひつぎ)の中で眠る主人の頰を何度もなでながら涙をぽろぽろと流してくれました。

リオ五輪のときには、私に主人の写真を持っていっていいかと聞いてくれて、会場でもそばに置いて戦ってくれました。周囲の人たちが「まじめ」と評する康生君と、きちょうめんな主人はとても気が合っていたんだろうなと思います。

そんな康生君から日本男子の監督を受け継いだのが、リオ五輪、21年の東京五輪と監督の康生君を重量級コーチとして支えた桂ちゃんです。主人は桂ちゃんが将来、国士舘大、そして日本男子の監督になっていくと期待していました。次男の立が中学に進学するとき、私はまだ親元を離れるには時期が早いと反対しましたが、主人は中学から国士舘へ送り出したかったようです。主人は「これから国士舘は変わる。桂治が監督になったら強くなる。立のことも指導してもらう」と話していました。立は高校から国士舘にお世話になることになりましたが、桂ちゃんは進学にあたって「自分が斉藤先生に育ててもらったように、今度は息子さんを強く育てます」と言ってくれました。

主人のライバルだった山下先生には、主人が亡くなってからも、むしろ亡くなってからのほうが気にかけてくださっているのか、連絡を頂く機会が増えました。主人はよく、「山下先輩の存在なくして自分の人生は語れない」と話していました。尊敬する柔道家であり、越えなければいけない高い壁だった山下先生に対する気持ちは、当人にしか分からないものかもしれません。

現在も山下先生は日本オリンピック委員会(JOC)会長との兼務で全日本柔道連盟(全柔連)会長を務め、康生君は全柔連強化副委員長となり、この春からは実業団の新チームでゼネラルマネジャー(GM)の道にも進みます。そして、桂ちゃんは、立が金メダルを目指すパリ五輪で日本男子を率います。

偉大な柔道界の先輩方が成長を気にかけてくれる立は、5月の世界選手権に向けて、けがの予防も兼ねて体重をコントロールするために専門家のアドバイスをもらいながら食生活の改善に取り組んでいます。体重160キロ前後で本番に臨めたらいいなという話をしています。「重量級の復権」は日本柔道界の長年の悲願でもあります。簡単ではありませんが、立がいつか主人を超えるような柔道家に成長することが、柔道界への恩返しになると思っています。

五輪2連覇の斉藤仁の妻として、パリ五輪を目指す次男・立の母として、斉藤三恵子さんが柔道一家をめぐる話をつづります。

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斉藤三恵子

さいとう・みえこ 1964年、大阪府生まれ、大学卒業後、海外の航空会社に就職。フランスの航空会社で客室乗務員をしていた1993年に斉藤仁氏と出会い、97年に結婚。長男・一郎氏、次男・立の母。

斉藤立

さいとう・たつる 体重無差別で争う全日本選手権は2019年に史上最年少の17歳1カ月で初出場し、22年に初優勝。男子100キロ超級で18、19年全国高校総体、18年全日本ジュニア体重別選手権優勝。21年のグランドスラム・バクー大会でシニアの国際大会初制覇。男子95キロ超級で五輪2連覇の故斉藤仁氏と三恵子さんの次男。一郎さんは兄。得意技は体落とし、払い腰。東京・国士舘高―国士舘大3年。191センチ、160キロ。21歳。大阪府出身。

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