第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、日本を14年ぶり3度目の世界一に導いた野球日本代表の栗山英樹監督が27日、東京都内の日本記者クラブで会見した。
一問一答は以下の通り。
――重圧は感じていた
「僕の表情や立ち姿が選手の不安をあおるので『楽しくいつも通りやりますよ』という姿をなるべく見てもらえるように努力していた。(1次リーグの)4試合は、予選落ちするわけにはいかないというプレッシャーもあった。日の丸を背負うのは初めてだったが、戦う前にサッカーの森保監督に『試合が始まるときの国歌を聞いた瞬間にスイッチが必ず入る』といわれていた。僕にとって、最初の試合の国歌斉唱の思いは特別。最後は勝ち切るなら選手だと思って、選手を信じるしかなかった。人生の中でこれから先、あんな感じに自分が追い込まれていくことはないと思った」
――大谷を招集した思いを
「(大谷は)僕以上に野球界のことを考えてくれている選手。監督を引き受け、2021年12月に一緒に食事をしたが、3時間、日本代表の話はしていない。最終的には、体さえ大丈夫なら出てくれるという信頼があった。二刀流で2年間、試合数をこなして、身体的にしんどいのは分かっていたが、よく決断してくれた。使命感や責任感が彼を突き動かし、金メダルを取れたと思う」
――村上を4番から外した経緯は
「打順に関しては(村上を)監督室に呼んだり、電話をしたり、ラインのメッセージなどできちんと意図を伝えながら前に進んでいった。春先は状態を上げるまでに難しいというのは分かっていたが、思った以上に村上も苦しんだ。大谷や吉田が試合中、(村上の)状態が悪いときに打撃を教えていた。その光景を見て、このチームは世界一になれると思った。日本に帰ってきて(村上と)別れるときに『宿題を持ったまま終われよ』と伝えた。本人も『次は必ず4番を打つ』と言っていた。引退するときに『2023年の春先が僕の今を作ってくれた』と言ってくれるとうれしい」
――プロ野球の開幕に向けてエールを
「選手たちの頑張りで、野球は面白い、すごいと伝わった。素晴らしい選手たちが、すごいプレーを見せてくれると信じている」
――準決勝のメキシコ戦の九回に村上に代打を送る選択肢はあったのか
「(送り)バント(の代打)は準備していた。投手の吉田への四球の出し方を見ながら、どちらが確率が高いかを最終的に判断した。もし、勝ち切るならば物語が必要。そういう形が出てこないと優勝し切れない。『ムネ(村上)で心中』と思った」
――捕手は固定せずに甲斐と中村を交互に起用した
「投手が投げやすいという感覚的なものだが、バランスよく2人を使っていった。(準決勝、決勝は)米国やメキシコの攻撃力を見ると、0点で逃げ切るのは難しい。攻撃力も足したいと、中村からいった。(決勝は)捕手を変える怖さがあったので、そのままいったが(中村は)サインの確認をマウンドで大谷とした。毎回、投手が変わるし、大変だったと思うが、何とかやってくれると信じていた。捕手は(大城を含めて)3人がバランスよくやってくれたのが、世界一につながった」
――WBCの今後の課題は
「ダルビッシュが最初から(宮崎合宿に)来てくれた。一切、試合に出られずに、いきなり(本番の)韓国戦にいかないといけないという状況。あの球数で試合に出るのは普通にあり得ない。調子が上がらない状態だったのは間違いない。今の形だと、メジャーの選手がWBCが参加しにくくなる。準決勝は米国だと思っていた。投手の作りもそのイメージでいっていた。進みながら変わるのが沢山ある。ルールをきちんと決めてほしい」
――帰国してフィーバーぶりをどう感じている
「多くの人が、野球を見てくれて、興味を持ってくれて感謝しかない」
――今後、やりたいことは
「教員になろうと大学に行った。子供たちに対して、何かできることはやらなくてはいけないという感じ。あまり先の事は考えていない」
――ヌートバーを招集した思いは
「正直、すごく迷った。米国で育ち、プレーした選手が、日本のチームに入ることがいいのか、悪いのかはすごく考えた。世の中、最近、いろんなことが起こる。一緒にやった友達と思えば、何か起こせると思い、グローバル化したいと来てもらった」
――決勝戦のダルビッシュと大谷の投手リレーはいつから計画していたのか
「米国の地で、メジャーリーガーをやっつけるために、最初に思い浮かぶのはあの2人。最終的に決まったのは、決勝戦の練習場に行ってから。決勝戦は若い投手を突っ込んでいった。マウンドに行って話しても『僕の言葉なんか、全然聞いていないな』と思った。後ろに行けば行くほどプレッシャーがかかる。最後、あの2人ぐらいしか越えられない感じがした。彼らがやられるなら仕方がない。不安はまったくなかった。送り出した時点で僕の仕事は終わったと思った」
――試合で緊張した場面はあったのか
「一瞬だけ、緊張しているかもしれないと思ったのは、韓国戦の試合前。珍しく体がフワフワした感じだった。総理の始球式があって、エラーしたらまずいと、必死になって取ったら(緊張は)消えた。個人的な緊張よりも『間違わないように』『準備はできているか』という心のやり取りをしていた。緊張していたのかもしれないが、比較的頭の中は冷静だった」