伝説の名参謀・秋山真之生誕155年 今も受け継がれる青少年育成の真心

秋山真之の上半身像。サクラの花が添えられていた
秋山真之の上半身像。サクラの花が添えられていた

明治37年に始まった日露戦争で、ロシアのバルチック艦隊を日本の連合艦隊が撃滅した日本海海戦で連合艦隊参謀を務めた秋山真之(1868~1918年)の生誕155年祭が3月21日、松山市にある「秋山兄弟生誕地」で開かれた。市民や真之の縁者ら約90人が集まって国家存亡の危機に見事に使命を果たし、その後は青少年の育成を願った真之を思った。

真之は慶応4年3月20日生まれ。父は松山藩士十石歩行目付の秋山久敬、母は貞。秋山家の5男だった。小学校、中学校、東京大学予備門と正岡子規と同級で、真之も文学を志していたという。しかし、家計の都合で予備門へ入った1年後、海軍兵学校へ転学した。その後は海軍将校として秀才ぶりを発揮。米国留学の体験を生かして机上演習の開発や武器の研究に励み、日本海軍の近代化に大きく貢献した。日露戦争では海軍少佐で連合艦隊参謀に抜擢(ばってき)された。

明治38年5月27、28日の日本海海戦では無線電信機を活用した情報網構築や七段構えと丁字戦法などを立案。またロシアのバルチック艦隊が対馬海峡に現れたことを知らせる電報に添えた「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」をはじめ名文家としても広く知られる。

肖像画の脇で「六段の調」を献奏する地元の高校生
肖像画の脇で「六段の調」を献奏する地元の高校生

生誕祭は兄の陸軍大将、好古とともに功績を後世に語り継ごうと、公益財団法人「常盤同郷会」が毎年開いている。山崎薫理事長は「がき大将だった真之は16歳で松山を出て19歳で海軍兵学校に入った。翌年同級生とともに帰省したとき、青少年をしっかり育てようと組織を作った。これが旧藩主の久松家の常盤会と一緒になって現在に続いている」と常盤同郷会の歴史を紹介した。真之が若い世代を支援しようとしたのは、武家生まれながら、貧しい暮らしだったことが背景にあるという。

同会は生誕地の運営、青少年対象の研修会のほか、武道場で柔道部、合気道部の稽古を行い、旧松山藩地域の高校生を対象に常盤同郷会賞を授与している。

山崎理事長は「国の使命を果たし、青少年のことを思った真之は、第二次世界大戦から復興した日本が今、どうあるべきか、痛切に感じることだろう。ここに来て真之を思うと、原点に返らせてくれる」と述べた。

真之は大正7年2月4日、海軍中将として49歳で亡くなった。真之の孫、青山芳之さんは「智謀をふり絞り、早く亡くなった。あの時代が求め、育て、活躍の場を与えた。百数十年経った今、われわれの置かれている情勢はどうなんだろうと考えてもらえたらと思う。備えあれば憂いなしと」と話した。

生誕地には好古の騎馬像、真之の上半身像が設置されている。上半身像は海上自衛隊幹部学校(東京都)にある「秋山中将像」(銅像)の複製で、生誕地整備事業の一つとして作られた。

秋山真之の上半身像複製の経緯を話す牧本信近さん
秋山真之の上半身像複製の経緯を話す牧本信近さん

元海上自衛隊幹部学校長で自衛艦隊司令官も務めた牧本信近さんが秋山中将像について紹介した。牧本さんによると、この像は真之が海軍大学校で教えた卒業生が中心となって拠金し、イタリアの彫刻家、マリオ・リナルディに制作を依頼した。リナルディは「東洋人の彫刻をやったことがないので、当人の大きな写真がほしい」と要望したという。これを受けて実物大の1・3倍の上半身写真を用意。リナルディは写真のとおりに造り、大正14(1925)年6月、日本に到着した。同年10月、海軍軍令部で秋山季子夫人へ渡し、季子夫人が海軍大学校へ寄贈したのだった。

しかし、昭和20(1945)年の敗戦で、海軍大学校は上半身像が連合国軍最高司令官司令部(GHQ)によって、取り壊しを命じられたり、混乱で失われたりすることを危惧し、横須賀市逗子町の秋山家へひそかに移管させていた。昭和38年になって秋山家から海上自衛隊に返還。海自幹部学校所蔵となり、現在は東京都目黒区の同学校のエレベーターホールに設置されている。

生誕地にある上半身像については、平成14年、秋山兄弟生誕地整備募金委員会の人たちが幹部学校を訪れ、非接触測定カメラで三次元寸法測定を行ったという。

生誕祭では地元高校生らによる国歌独唱、吟詠詩舞、琴の献奏もあり、真之の真心が若い世代に受け継がれていることを表していた。社会貢献活動や学業に熱心な生徒へ贈られる常盤同郷会賞を受賞した県立松山盲学校卒業生、玉井咲哉さんはスピーチで「3年間フロアバレーボールに取り組んだ。3年時にキャプテンとして出場した中四国地区盲学校体育大会では敗戦もあったが、社会人の先輩や中学生の後輩に励まされ3位に入賞できた。思いやりの大切さを知る機会になった」と語った。(村上栄一)

松山市にある「秋山兄弟生誕地」
松山市にある「秋山兄弟生誕地」

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