「板垣死すとも-」死せぬ自由誓い安倍氏慰霊祭、憂国の遺志「重ねずにはいられない」

「板垣退助先生顕彰会」が執り行った安倍晋三元首相を偲ぶ会=26日、大阪市住之江区の大阪護国神社(南雲都撮影)
「板垣退助先生顕彰会」が執り行った安倍晋三元首相を偲ぶ会=26日、大阪市住之江区の大阪護国神社(南雲都撮影)

「板垣死すとも自由は死せず」-。明治15(1882)年、自由党の党首として自由民権運動を推進していた板垣退助は岐阜で遊説中に暴漢から襲われた際、こう叫んだとされる。昨年7月、奈良市で参院選の演説中に安倍晋三元首相が銃撃され死亡したのは、板垣の「岐阜遭難事件」から140年の節目。命がけで国を憂いた2人の政治家を「重ねずにはいられない」として26日、板垣の玄孫(やしゃご)らが大阪市内で安倍氏の慰霊祭を営み、彼らの精神を受け継ぐ決意を新たにした。

安倍氏揮毫

板垣ゆかりの高野寺(高知市)に奉納されている位牌(いはい)には、彼の不屈の精神を表すあの叫びが刻まれている。その言葉を揮毫(きごう)したのが安倍氏だった。

安倍晋三元首相による揮毫が刻まれた色紙と升を持つ板垣退助の玄孫の高岡功太郎さん=26日、大阪市住之江区の大阪護国神社(南雲都撮影)
安倍晋三元首相による揮毫が刻まれた色紙と升を持つ板垣退助の玄孫の高岡功太郎さん=26日、大阪市住之江区の大阪護国神社(南雲都撮影)

昭和43年の板垣の50回忌に安倍氏の大叔父でもある佐藤栄作元首相が名誉総裁となり設立された団体「板垣退助先生顕彰会」が、平成30年の100回忌に合わせ位牌を新調する際、当時の自民党総裁であった安倍氏に依頼した。

「総理の優しいお人柄を垣間見ることができた」。こう振り返るのは、同団体理事長で板垣の玄孫、高岡功太郎氏(49)。外交など多忙な業務の合間を縫って練習を重ね、「板垣死すとも-」を大きな条幅にしたためたという。

「板垣は肉体としては亡くなったが、その精神は滅びない」と高岡氏。「自由民権運動は終わってなどいない。今の政党政治に受け継がれている」と語った。

風化を危惧

岐阜遭難事件から140年後、安倍氏も同じく襲撃を受け、不幸にも命を落とした。高岡氏は「民意を問う選挙の最中に行われたこの暴力的行為を許すことはできない」と、この事件を明治時代以降連綿と培われてきた議会政治への侵害ととらえる。

戊辰戦争で官軍参謀を務めた板垣退助の銅像。日光を戦火から守ったと言い伝えられる=日光市上鉢石町
戊辰戦争で官軍参謀を務めた板垣退助の銅像。日光を戦火から守ったと言い伝えられる=日光市上鉢石町

こうした中、事件の風化を危惧する声がある。事件現場を巡っては、奈良市が付近に慰霊碑の設置などを検討したものの批判的な声を踏まえ、仲川げん市長が昨年、「世論の分断を生んでしまう」として取りやめに。この流れを受け、奈良県内の自民党関係者らが現場近くに「慰霊の場」を設置する動きもある。

実際、板垣が襲撃された岐阜市の現場にはモニュメントがあり、140年が経過しても風化を防いでいる。

桜の季節に

26日には、安倍氏が生前愛した桜が咲く季節に改めて志を受け継ごうと、慰霊祭が大阪護国神社(大阪市住之江区)で営まれた。あいにく雨天となったが、各地の市議会議員や安倍氏の妻、昭恵さんとも交流がある関係者らが参列。記念品の升には安倍氏の揮毫を刻んだ。

板垣退助の言葉を揮毫した板垣の位牌(高岡功太郎さん提供)
板垣退助の言葉を揮毫した板垣の位牌(高岡功太郎さん提供)

首相として歴代最長の在任期間となった安倍氏について「客観的にも、国民から最も愛された首相だ」と評する高岡氏。「事件の重大さを今一度思い返してほしい」と訴えた。(藤木祥平)

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