日曜に書く

WBCの春を子規と観る 論説委員・別府育郎

野球小僧

野球は楽しい。面白い。恐ろしい。さまざまな感情を揺さぶられるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の春だった。栗山英樹監督は「野球はすごい」とも話した。

栗山はまた、MVPに選ばれた大谷翔平を「野球小僧になったときに翔平の素晴らしさが出てくる」と称した。投打に躍動した大谷だけではない。球団に帰れば4番に座る山川穂高や牧秀悟らがベンチで仲間の一球一打に狂喜乱舞した。童心に返った選手らの破顔が強く印象に残る大会となった。

2006年、帝京高校の主軸打者だった塩澤佑太(現東京ガス)は高校日本選抜で米国に遠征し、ヌートバー家にホームステイした。当時のラーズ少年を「映画ホーム・アローンのマコーレー・カルキンみたい」と評し、WBCで活躍する彼を見て「何も変わっていない」と話した。ここにも野球小僧がいた。

<恋知らぬ猫のふり也球(まり)あそび>。俳人、歌人の正岡子規、明治23年の句。季語は猫の恋。盛りの春ということらしい。ただ純真にボールを追う子猫、つまり野球小僧を詠んだものだ。

スター選手らに少年の心を蘇(よみがえ)らせたのは試合前の大谷の打撃練習だった。渡米1年目、デンバー・ポスト紙のコラムに「死ぬ前に見ておくべきもの」として、アイスランドのオーロラ、万里の長城に並べられた大谷の打撃練習は、体の進化とともにさらに迫力を増し、高々と打ち上げられた打球は、はるかかなたへと宙を駆ける。

童心を蘇らせたもの

<うちあぐるボールは高く雲に入りて又落ち来(きた)る人の手の中に><生垣の外は枯野や球(まり)遊び>。雲にも届こうかという大谷の打球は人の手には落ちず、フェンスの向こうは枯野ならぬ満員のスタンドで、打球はさらにその上を行く。これは、さすがに子規の想像を超えた。

若き三冠王、村上宗隆はサンケイスポーツ紙に手記を寄せ、大谷の打撃練習を「衝撃的」と書き、こう続けた。

「自分もこうなりたいと純粋な気持ちが湧きました。14年前の9歳だったあの日と似た感情です」。あの日とは09年の第2回WBC大会決勝の日を指す。大谷の練習が始まると相手側選手も打撃ケージ近くに集まる。決勝の前も、マイク・トラウトらが目をこらした。

大谷はスター軍団米国と戦う決勝の前、選手らに「憧れるのをやめましょう。憧れてしまったら超えられない」と呼び掛けたが、その心配はなかった。

もはや大谷自身が憧憬(しょうけい)と畏怖の的なのであり、それは大リーガーにとっても同様だった。決勝後の会見で、大リーグ通算541本塁打の「ビッグ・パピ」ことデビッド・オルティスは、大谷にこう質問した。「君はどの惑星から来たんだ?」

そして野球小僧を一つに束ねたのがダルビッシュ有だった。一人一人に「野球は楽しくやるスポーツ」と声を掛け、変化球の握り方を披露し、食事会を重ねて若手の緊張をほぐした。デビュー時には悪童扱いもされた孤高の印象は消えた。

悪童を大人に

日本サッカーの父、デットマール・クラマーに「サッカーは少年を大人に、大人を紳士に育て上げる」との名言がある。野球には大人を少年に、悪童を大人にする力もあるらしい。

まだ「野球」の訳語もない時代に、子規は<久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも><国人ととつ国人とうちきそふベースボールを見ればゆゝしも>の歌で、野球の楽しさと人気、国際試合の興奮を予言した。「とつ国人」とは、外国人のことだ。

子規には、名手、源田壮亮のグラブさばきを思わせる<球(まり)うける極秘は風の柳かな>の技術論や、プレーボールの胸の高まりを詠んだ<九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす>といった歌もある。

野球と言葉は相性がいい。子規とは関係ないが、野球を書くとき、いつも頭から離れないセリフがある。名画「フィールド・オブ・ドリームス」の原作、W・P・キンセラ著、永井淳訳の「シューレス・ジョー」(文春文庫)で、映画には出てこないシズンズ老人の言葉だ。

「野球の名を称(たた)えよ。その言葉は虜囚を解き放つだろう。死者をして立たしめるだろう。きみたちの中に野球という言葉は生きているか? 世に出て野球を語れ」

存分に楽しませてくれた、日本のWBC優勝に寄せて。(べっぷ いくろう)

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