朝鮮戦争勃発の翌年、昭和26年9月、サンフランシスコ平和条約とともに締結された日米安全保障条約は、独立後の日本が自由主義陣営の一員として国際社会に復帰することを明確にした。米国は講和後も日本に米軍基地を置き続けることを求め、日本は米軍基地が日米双方の安全にも役立つとの前提で受け入れた。
ただ、この旧安保条約は講和後の暫定措置として結ばれたものであり、日本政府が求めたような「平等条約」とはいえなかった。
35年1月19日、岸信介首相が安保条約の改定に調印した理由はそこにある。改定後の新安保条約(現行の安保条約)では、米国が日本の安全を守る義務を負うことを明確化した。また、米軍の行動に関する日米両政府の事前協議の枠組みが設けられ、政治・経済面での協力も規定され、より対等な協力者としての位置付けを強めることになった。