《伝説の番組「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京系)で素人のキャラクターを演出してきた異能のテレビマン。その才覚は、お笑いの世界とは縁遠い政治家でも発揮された。共産党副委員長などを歴任した上田耕一郎氏も番組の企画に何度か出演している》
今はもうそんなことないですけど、当時はまだ日本共産党って、怖いとか、何か堅物すぎるんじゃないかっていうのがあったんです。でもそこにいる人たちってちゃんとしてるし、面白いから、そういうものを引き出せたらいいなってのがあったんです。(放送後の)共産党のイメージも良かったと思うんですよね。みんな意外と三枚目で、人がいいんだなって(笑)。
僕はそのころから北朝鮮とかに興味を持って「お笑い北朝鮮 金日成・金正日親子長期政権の解明」(コスモの本)とか書いてましたけど、政党すらバラエティーの方に引き込みたい気持ちがあったんです。上田さんとは番組の後もすごく懇意にしてもらいました。「お笑い革命日本共産党」(飛鳥新社)という本も書きました。志位さん(志位和夫共産党委員長)とも親しくさせてもらってますよ。
《タブーを打ち破る企画で面目は躍如する。「整形シンデレラシリーズ」は整形手術の前後の写真を公開。手旗信号とモールス信号で宝探しをするという企画には、言葉の不自由な人たちも多く参加した》
エールを送りたくなるじゃないですか。テレビって難しいところがあって、例えば、本当に面白い障害者の方っているんです。でも、その人で笑わせようとすると、テレビ局の考査に引っかかってくるんですよ。冗談一つ言うにしても、(放送前の)プレビューで引っかかったことがありましたね。妙なセーフティーガードが入っちゃう。
不思議ですよね。社会に出ればもっと厳しいことがあるのに。きれいごと、というか触れないようにしているというのが事実なんでしょうね。俺は「家族だったら、これくらいのこと普通に言うよな」って思うんだけど。
《家族といえば、テリーさんには28歳のときに結婚した人生の伴侶がいる。出会いは大学2年の時分にさかのぼる》
下町の町工場の娘。社長ったって4、5人でやってる会社だけど。六本木でデートしたときに、「明日、『お庭』を掃除しなければいけないから」って言って早く帰っていったんです。そんときに「下町に『お庭』なんかねえだろ」って思ったんですよ(笑)。
そんなに結婚に積極的じゃなかったんだけど、何人かと付き合ってて、誰にしようか迷ってたんです。こんなこと言ったら怒られちゃうよな(笑)。そんときに、俺、おふくろが大好きだったから、おふくろがもし死んだら、付き合ってた子の中で誰にいちばん最初に電話するかなって思ったんです。そしたらうちのかみさんだったんです。
あと、俺と性格が全く違うところだな。俺はわがままだったけど、かみさんは無口で、なんだろうな、辛抱強くて我慢強いっていうか。不器用で、人付き合いもそんなに良くなかった。そういうところが良かったかなあ。俺、若いころは全然稼ぎがなかったじゃないですか。かみさんは全く俺のこと期待してなかったですよ。どうせこの人は、収入のないまま終わっていくんだろうって(笑)。
かみさんは当時、麴町の着物問屋に勤めていて、自分で和装の着物を縫えたんです。手に職があるから、俺が野垂れ死んでも生きていける。だから俺に頼るっていうのが全然なかったんですよね。今もそうなんですけど、俺に甘えるってことをしない人なんです。なんか大騒ぎしてでかいこと言ってるけど、いざとなると気が弱い俺とは性格が逆で、そこに魅力を感じましたね。(聞き手 大竹直樹)