平安時代に創建され、仁徳天皇をまつる高津宮(こうづぐう)(大阪市中央区)で、かつて境内にあったと伝わる「名水の井戸」が4月2日に復活する。伝統的な手掘り工法で、ボランティアの市民らが約4年をかけて掘り当てた。誰もが集う交流の場をつくろうという思いをきっかけに始まり、参加した市民は延べ300人以上。地域を潤すプロジェクトに発展した。
「なんか聞こえる!」
地下16メートル付近を掘削中の昨年9月。土砂を吸い上げる地中の鉄管にボコボコといった音が反響し、勢いを増していく。水脈に当たった瞬間だった。その後も水の濁りが収まるまで掘削を続け、来月のお披露目にこぎつけた。
掘削穴の直径は約15センチ、深さ約18メートル。「やっと掘り当てた」。令和元年7月の井戸掘り開始から関わり、市内で配管設備工事会社を営む斉藤竜久さん(46)や設計士の大浦昌尚さん(54)らは喜びにわいた。
延べ300人参加
神社の伝説だった井戸が発見されたのは20年ほど前。境内の一角が、雨などの影響で1メートル弱ほど陥没。そこに石で囲まれた丸い遺構があることに小谷真功(まさよし)宮司が気づいた。「きれいな石組みの断片が見えていた」。井戸の遺構だ、とピンときた。かつて生駒山からの伏流水で名水がわき出る井戸があったと伝わっていたからだ。
江戸時代中期の「摂津名所図会」にも本殿近くに井戸が描かれている。参道には芝居小屋や料理店が並びにぎわっていたようだ。
しかしいつの頃か、井戸は枯れてしまう。「神社に水がないのは残念。豊かな水が戻り、人が集まる場所になれば」。小谷宮司が思わずこぼした言葉を受け止めたのが斉藤さんたちだ。
斉藤さんらは、企業活動を通して社会貢献などを学ぶ経営者の勉強会「実践経営者道場«大和»」(大阪市)に参画。高津宮では毎年秋に、職人の仕事などを子供たちに体験してもらう「あきんど祭り」を開いていた。「高津宮への恩返しになる」。そう思い立ち、井戸復活のプロジェクトが動き出した。
団体の有志ら数人で着手し、当初は業者への依頼も検討したが、神社を「コミュニティーの場に」と願う小谷宮司の思いをくんだ。ボランティアで集まってくれた人たちで取り組めば、交流が生まれると考えたからだ。
綱引きの要領で
国内での手掘り工法は、千葉県で江戸期に開発された「上総(かずさ)掘り」が知られる。斉藤さんらは現地を訪れ、技術を伝承する研究会に教えを請うた。そしてロープと滑車、鉄管を組み合わせたオリジナルの掘削装置を作り上げた。鉄管の先端はやりのようになっていて、ロープで上げ下げすることで土中を掘削。鉄管内に土砂を吸い込み、掘り進めることができる仕組みだ。
井戸の遺構の数メートル北側で始まったプロジェクト。週末を中心にボランティアが集まった。月日を重ねるごとに、井戸掘りに人だかりができはじめた。
近所の住民、参拝者、仕事帰りのサラリーマン…。手伝う人の輪が広がった。「面白がって参加者が増えた。外国人や落語家さんもいた」(大浦さん)。井戸や地層、建築の専門家や技術者の応援もあった。斉藤さんは「井戸を復活させてコミュニティーの場をつくるつもりが、完成前にそうなるとはうれしい誤算だった」と笑う。
大浦さんは「ロープが切れたり道具が深部に埋まったりしたときもあったが、本殿に向かって祈ると、不思議とピンチを乗り越えられた」と振り返った。
「100年使える井戸」を目指し、手押しポンプも設置。水質基準に満たないため飲用にはできないが、小谷宮司は「お湯をまく湯神楽の神事やお供えの水に使える」。
大浦さんは「何かあったときは井戸を掘った仲間が集まり、知恵を出し合う関係ができれば」と、伝説の井戸を中心にしたコミュニティーの発展に期待する。(北村博子)