昭和53年11月21日、巨人軍は静岡・草薙球場で「日米野球」の最終戦を迎えていた。
相手は強豪シンシナティ・レッズ。猛烈なヘッドスライディングで有名な主将ピート・ローズが1番。エースはトム・シーバー。3番ケン・グリフィー、4番ジョージ・フォスター、5番ジョニー・ベンチの強烈クリーンアップ。
10月28日の第1戦(後楽園)でシーバーから王が本塁打を放つなど7―6で勝利すると「ことしはひょっとしたら勝ち越せるかも」とファンも期待した。だが、それは淡い夢。
レッズナインの〝時差ボケ〟が取れるともう勝てない。なんとか11月3日に「全日本」メンバーで6―4と勝利したがこの2勝だけ。2勝13敗1分け、11連敗でこの日の最終戦を迎えていた。
「電撃契約」のニュースは午前11時過ぎ、一塁側ベンチの長嶋監督に届いた。
「えっ、本当ですか? 信じがたい」
これが第一声。そのあと、正力オーナーへ事実確認の電話を入れると、再び記者たちの前に立った。
「正直なところ、本当にそんなことができたの?というのが現在の偽らざる気持ちです。ただ、フロントが協約に乗ったうえでやったことだから、軽率な発言は避けたい」
ミスターは口を閉ざした。
小林は練習中に他の選手たちが「おい、ウチがとんでもないことをやらかしたらしいぞ」と話しているのを聞いて知ったという。
「巨人はどうしても江川が欲しかったんだろう。江川はそれだけの力を持った子だったしね。ただ、方法は巨人らしくないと思った。というより、そのとき〝振り上げた拳〟をすぐにおろすだろうと思っていたんだ。巨人軍には大正力の遺訓があるから」と後年、小林は当時の心境を振り返った。
日米野球の最終戦は3―2でレッズが勝ち12連勝。通算14勝2敗1分け。
◇11月21日 静岡・草薙球場
レッズ 001 011 000=3
巨 人 001 001 000=2
(勝)ユーム5勝 〔敗〕加藤1敗 (S)ベア4S
(本)サマーズ⑤(加藤)王②(ユーム)
小林も先発・加藤の後を受け2番手で登板。1回を投げ3安打1失点。16試合続いていたローズの17試合連続安打も4打数ノーヒットでならず、日米野球は「騒動」のために寂しい終焉(しゅうえん)となった。(敬称略)