ロシアによるウクライナ侵略から1年が過ぎた。節目のタイミングではあるのだが、今月号の各論壇誌では、意外なことにウクライナ戦争に関する直接的な論考はあまり多くなかった。
各誌とも、これまでの1年間で折々に論じてきたのだから、改めて扱うこともないと考えたのだろうか。それとも、雑誌読者層が高齢化する中で国際情勢ものはやはり反応が思わしくなく、「団塊の花道 75歳後をいかに生き抜くか」(「中央公論」)、「日本の食が危ない!」(「文芸春秋」)といったドメスティックな特集テーマに優先順位で負けたのか。何にしても、世界史的な地殻変動が生じている最中に、やや寂しい状況と言わざるを得ない。
そんな中で、正攻法の特集「ウクライナ侵略戦争の1年」を組んだ「Voice」の判断は光っていた。執筆陣も充実しており、この1年の見取り図をよく示す優れた内容となっている。
冒頭に置かれた国際政治学者の細谷雄一による「米英の『ひ弱さ』が招いた露の膨張」は、今回ロシアに対し西側主要国の中でも最も厳しい姿勢で臨んでいる英国が、かつての宥和(ゆうわ)的な態度からなぜ現在のような強硬対応を取るに至ったかの経緯を追いながら、冷戦後の30年の歴史の中にこの戦争を位置付ける。
戦争の主因としては、開戦当初にロシア大統領プーチンがテレビ演説で北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大による安全保障上の脅威を挙げており、この主張は日本でも一部に賛同者がいるが、こうした議論が事実に即していないことを細谷は明快に論証していく。「今回の戦争を引き起こしたのは、米英によるウクライナ内政への『介入』や、NATO東方拡大というような、西側諸国の『強さ』にロシアが『恫喝』されたからではない」「むしろ、二〇一四年に至る過程で顕著となっていた、米英の『ひ弱さ』に対する侮蔑こそが、プーチン大統領によるウクライナでの冒険主義に至った一つの重要な要因だと考えるべきである」
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短期間で片付くとの楽観に基づいて始まったロシアの「特別軍事作戦」だが、ウクライナ軍の予想外の善戦で長期化するに至った。ベストセラー『独ソ戦』で知られる現代史家、大木毅の「これから始まる『負荷試験』」は、2014年のクリミア侵攻で大敗したウクライナ軍が用兵思想を刷新したことなど、軍事面から善戦の要因を指摘しつつ、「ロシアの戦争目的は、自国の安全を確保することよりも、ウクライナの『ロシア化』を優先しているのではないか」「政治的・軍事的合理性の追求から逸脱したイデオロギー戦争の色彩を濃くしている」と、この侵略の性格を読み解く。
ロシアとしてはイデオロギーの面からも、人的・物的資源の収奪という戦時経済上の必要性からも、今のところ戦争を継続して占領地を維持し続ける以外の選択肢はない。そうである以上はウクライナも戦い続けるしかなく、どちらかの体制が耐えられなくなるまで「負荷試験」が続く。そして「もしウクライナが『負荷試験』に合格しなければ、戦後まがりなりにも積み上げられてきた国際秩序は烏有(うゆう)に帰し、世界は十九世紀的な暴力による現状変更の波にさらされることになるだろう」。自由主義諸国の一員である日本もまた、ウクライナを支え続けられるかという「負荷試験」に参加している当事者なのだ、と大木は結ぶ。
同特集からもう一つ、吉田徹の「歴史と感情が国際政治を動かす」は、政治学者が日本ではなじみのない「存在論的安全保障」の概念を紹介し、射程の長い論を展開する。
「国家は自身の生存/権力維持を最大目標とする」とみる伝統的な国際政治学のリアリズム理論に対し、存在論的安全保障の立場では「国家は自身のアイデンティティ維持を最大の安全保障とみなす」。よってリアリズムでは説明がつかない非合理的行動も、「国家アイデンティティの維持という観点から見れば、異なる合理性が発揮されているとする」。この視点は今回のロシアの侵略を理解する鍵となるだけでなく、「『ポスト・ポスト冷戦期』に突入した世界政治において基調となる」とする吉田の見通しは興味深いが、その時代の多難さを思うと陰鬱な気分にさせられる。
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「世界」3月号に掲載されて話題を呼んだ社会学者の伊藤昌亮による「ひろゆき論 なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか」が、今月11日から同誌ウェブサイトで無料公開された。
同論考は、匿名掲示板「2ちゃんねる(現「5ちゃんねる」)」創設者で、若い世代の人気を集めるひろゆき(西村博之)の論理について、「ダメな人のためのネオリベラリズム」と診断。ネットの反応では、ひろゆきの思想を「自己や社会の複雑さに目を向けることのない、安直で大雑把なものであり、知的な誠実さとは縁遠い」と厳しく断じた部分がもっぱら注目されているが、伊藤の問題意識の中心はむしろ、旧来のリベラル派の「弱者リスト」と、自分たちを弱者と認識するひろゆき支持者たちの「弱者観」に大きなズレがあり、一種の「階級闘争」が生じていることの指摘に置かれているように思える。
ひろゆきが「なぜ支持されるのか」と問うことは、「世界」のコア読者層に象徴されるようなリベラル派にとって、自分たちが「なぜ支持されないのか」という自省にも結びつく。議論のたたき台を提供したという意味でも、老舗論壇誌としては珍しく機動的かつ意欲的なこの公開の試みは高く評価されるべきだろう。(敬称略)
(文化部・磨井慎吾)