朝晴れエッセー

桜・3月22日

小学生の頃、桜の開花予報を聞くといつも憂鬱(ゆううつ)になった。近所に立派な桜通りがあり4月の桜祭りには多くの屋台が並んだ。半世紀前の屋台の当て物は10円。しかし、その10円を父にせがむと「桜を見るなら夜明けだ」と突き放された。

友人らが小遣いを握り遊びに興じる中、私たち兄弟は指をくわえるしかない。気の毒に思ったのか、1人が十円玉を差し出し「あげようか…」と言われたときはみじめで、父を呪った。

大学を卒業して念願の教員になった。毎年4月の始業式が終わると、散り始めの桜と一緒に記念撮影。これから始まる新しい学校生活に期待が膨らみ、みんな笑顔で写真に納まっていた。

30代、ランニングにハマった。練習コースは桜並木の河川敷。春彼岸、暖かい日差しに桜の蕾(つぼみ)が膨らみ、誘われるように走る。満開を迎え華やいだ景色も花の命は短く、春風で舞い散る桜吹雪に背中を押された。

みずみずしい葉桜は目に優しく、身も心も躍動する。炎天下、涼を求めて濃い緑の影を踏み、秋冷の初嵐は、息せく呼吸に爽やかな空気を送り込んでくれた。そしてマラソンシーズンの到来。冬木立の中を疾走できることが何より幸せだった。

コロナで日常生活はすっかり変わってしまった。それでも桜はいつも身近にあって、季節とともにその姿を変えながら私たちを見守ってくれている。人工股関節の手術を終えた私は今年もまた、一人花冷えする早暁の桜を見に行くことだろう。少し父に近づけた気がするこの頃である。


上田龍男(60) 奈良県橿原市

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